50カラット会議

23号「食と健康」を伝統の食文化に学ぶ

2002年4月 発行所 「50カラット会議」

50カラット会議レポート 

23号

 

「食と健康」を伝統の食文化に学ぶ

 

前22号で、「気持ちいい体をつくる食卓革命」と題して、50代からの食事の楽しみやメニューの広げ方を考えました。「胃もたれしない」を目標に、これまでの体験と知識をフル回転させて美味しくて体に馴染んだ食生活を確立しようと勢いこんだのでした。ところが、話に出てくる「医食同源」「薬膳」「50代からの栄養学」という言葉が正確に把握できていないことが分りました。そこで先ず、日本の伝承料理を研究していらっしゃる方々から、私たちの食生活のルーツを伺うことに致しました。お話をして下さったのは、伝承料理研究家・奥村彪生さん。それに、日本の伝統食を考える会・宮本智恵子さん、西野芙美子さん、中筋恵子さんです。

 

蛇の道はヘビに聞くシリーズ㉑

伝承料理研究家・奥村彪生さんのお話

 

伝承料理研究家・奥村彪生さんから伺った、日本の食文化のルーツに端を発する現代食文化への提言をお届けします。
海に囲まれ、豊かな水を生み出す森林に恵まれた日本の食文化は、縄文の時代に、なんと「刺し身文化」と「鍋文化」を持っていたといいます。弥生時代に始まった稲作は、塩の登場によって「なれ鮓文化」もつくりました。更には、季節の変化に富んだ日本に暮らすことが、次々と新しい食べ方を求めるあたらしもの好きの日本人をつくったというお話。そして、根菜や硬いものを食べなくなった現代人は、奥歯を噛み締めていないから「口を半開きにしている」などなど。うまくお伝えできるといいのですが。

ご紹介:奥村彪生さんは、奈良時代から江戸時代まで、明治時代、現代まんが「サザエさん」までの様々な料理を再現した伝承料理研究家です。日本の伝承文化の特徴は、レシピや教え方が秘伝であること。その秘伝を説き明かすことが仕事であるとおっしゃいます。奈良在住

1.縄文文化は、日本の食文化のルーツです。

「刺し身」もあれば「鍋」もある。

近年新しく発見された、青森の三内丸山遺跡に行って驚きました。
すごいですよ。簡単に言えば、「刺し身の文化」があったのです。鯛の骨、それも1m近くある大きな鯛。それを石包丁で、下ろしている。サヌカイトという黒曜石を割って作った石包丁で魚を下ろした跡が出土した骨に残っていました。刺し身ですから勿論生。当時は、醤油はありませんから、塩をチョイとつけて食べました。ワサビをつけたかどうかは分りません。ワサビは、日本にしかなかった固有の植物ですけど。日本は海に囲まれていて、海から離れているといっても知れていますよ。日本の山間地の神社のお供えものは、海の魚と海草が主なのです。神へのお供え物になるのだから、これらはご馳走だったんですよ。
しかし、常食はしていなかった。魚貝だけじゃありません。猪、鹿、ウサギといった獣肉も食べていました。佐賀県の吉野ケ里の弥生の遺跡では豚でした。「万葉集」には、十六という言葉がでてきます。四四=十六ですからね。この頃すでに掛け算があったんですね。ししっていうのは、肉のことなんです。だから、猪の肉でイノシシ。カノシシがなまって鹿。肉は、生でも食べていました。これを「生シシ」と呼び、飛鳥奈良時代は「膾」と書きました。

けれど、多くは縄文土器に入る大きさに切って煮込みました。滋賀県の琵琶湖湖底の粟津遺跡から出土している骨は、ほとんどが短く切られています。エネルギー源は木の実、どんぐり類です。灰と鍋と熱湯、火の組合せがありました。灰を使った「アク抜きの技術」がなければ、縄文人は生きていけなかったんです。いまも、山間地には残っているけれど、トチの実のアク抜き。縄文人の主食料は、木の実の中でも最もアクの強いトチだったんです。これほどアクの強い木の実はないですよ。食べすぎると死にます。しかし、このトチのアクを抜くことで主食料にしたのは縄文人。世界に誇る文化です。このアク抜きは、この時既に、木の実だけでなく、ワラビとかゼンマイにも応用されていました。アク抜きの技術は、今も生きています。

「刺し身文化」に続くのは「鍋文化」。1つの鍋にいろいろな食材を放り込んで煮ましたから、旨味が複雑な味になります。山菜、猪の肉、あるいは魚貝を入れて煮て、それを1つのしゃもじですくって、回し飲んでいくんです。おそらく、世界で最初の「回し飲みの文化」だろうと思います。フランスあたりでも、結婚式の時にワインを飲み回す文化があるけれど、それより早い。なにしろ、5、6千年も前ですから。この「鍋」での注目は、「旨味の文化」ですね。なんと、干椎茸が入っていたというんですから。東北のあちこちの遺跡から、きのこをモデルにした土偶品がいっぱい出ている。姿かたちは椎茸です。全部、傘にシワ寄ってるということは、全部干椎茸ですね。生より乾燥させた方が味は濃縮されます。あの頃から、椎茸は、旨くて体にいい食べ物だったのでしょう。

2.縄文の人は、よく歩いていました。食べ物は、牛みたいによく噛んでいました。 

縄文人は、よく歩いていました。出土した土器の生産地から使用された土地までの距離を割り出すと、1日90km歩いています。しかも、早足で。それから、よく噛んでいます。出土する歯の奥歯、臼歯は摩耗している。よ~く噛んでいるのです。牛みたいに。しかも、虫歯はありません。よく噛むことは、食の基本です。今は、皆さんあまり噛んで食べない。鵜飲みです。ですから、食材の滋味を味わうというより、つけ味で食べている。さて、食べていた食品数は、豊かじゃなかった。けれども、蛋白源は、動物性。エネルギーはすべて木の実から。野菜も、全部健康によいという自然に生えている食用植物です。それに、海藻やきのこも食べていました。縄文時代に、既に動物性のものと植物性のものを組んで食べる、セットの意味が分っていたんです。それから、水。
日本は、森林の国。森林率は今でも65%。その森林を作っているのは「水」でしょ。縄文の文化は、森の文化です。水は、化学記号で書くとH2O。日本の水にはミネラルが少なくて、軟水。今でも、これだけガブガブ水を飲める国はないでしょう。
水の安全さ、水のおいしさは、縄文時代から、ずっと続いているのです。和歌山市で、県の神社庁設立55周年記念の講演をしに行ったけれど、参加なさっている神社関係者に聞くと、お供えしている神饌は、水と米と塩が基本でした。

 

3.弥生文化は、稲作に始まった旨味の文化です。

縄文晩期に、製塩が始まりました。木の実を主体にしながら、山の動物を食べ、海の魚貝や海藻を食べ、野生の食用植物を食べてきた食生活に、稲作が加わったのが弥生時代です。 塩とお米と獣肉や魚貝の組合せで生まれたのは、「塩辛の文化」と「鮓文化」。この「鮓」は、日本のものじゃないんですよ。東南アジアの山岳部にいる少数民族、ほとんどタイ系ですが、そのタイ系の人々は、ミャオ族とかヨーという部族とかに分かれていますけど、タイ東北部とかラオス、中国の雲南、台湾の高地域の山岳民族のものなんです。焼き畑でお米を作っていたのです。

年に1度大暴れする川で捕れた魚を保存する方法として、塩漬けにして、それをご飯に漬けて発酵させて保存していたのです。要するに、魚の漬け物。それが日本に伝来しました。その原型は「なれ鮓」です。この「なれ鮓」が進化して「握り鮓」になりました。それは永い永い年月を経て、日本で誕生したのです。
何しろ、日本の風土に米はぴったりだったし、魚は捕れるし、水が美しく安全で旨いと   いう環境が、「鮓の文化」を発展させたのです。米は、輪作障害がないでしょ。同じ田んぼで来年も作っても、一切実りに関係ないんです。年に3回栽培しても、実りに何の障害もない。水と太陽の恵みがあればいいのです。これが日本の気候風土のおかげ。産物も文化も、気候風土に支配されているという実証ですね。田植えの時は雨が多く、成長期は気温が高く、実る頃は冷涼と、旨い米づくりにぴったりの気候風土だからです。

 

4.日本は、水の国。四季の国。

魚が生で食べられるなんて、水が安全な所でなければできません。水は日本の宝で   す。今でも、東南アジアに行くと「魚は生で食べないで」って、空港に看板立ってるでしょ。 東南アジアに行って、コレラにかかるのは、生魚を食べたがるからです。
それに、日本ほど、四季のメリハリがある所はない。春夏秋冬、それも日々変わっている。 庭を見ていると分りますよ。特に、雑木はすごい。見事に変わります。その自然の移ろいを見ていると、何でも変えたくなる。だから、日本人は新しいものを次から次へと追い求めるのじゃないですか。  食べ物も、そう。絶えず変えている。毎日変わった料理を食べたがる。変化を求める民族です。だから、食べ物、食材はその国の気候風土によって左右されるのです。縄文時代からあった「刺し身」も、日本で発展したのは、島国だからでしょ。季節によって魚は変わるし、暖流と寒流にのってくる魚の種類は多いし、こんな自然の恵みに囲まれた島国のため、そのものが最も美味しく、沢山とれる「旬」という考え方も生まれたのです。「旬」というのは、出始めから10日間が賞味期間だという区切りです。1か月を、上旬・中旬・下旬と分けますけど、旬って「10日間」の意味なのです。
もっとも、現在は、物流網の発達と栽培技術で、食べ頃という意味での「旬」はどんどん伸びっ放しですけどね。郷土で生まれた産物や自然環境には、「気」があると思っています。その「気」を吸って生きていくことが、体には自然なことだと思います。その「気」は、自然の力。元気の「気」、天気の「気」、病気の「気」。全部自然と人間の一体感のことなんです。季節を大切に食べていきたいと思っています。

 

5.調味料がやってきたのは、万葉の時代。

飛鳥奈良時代になると、調味料や酒の醸造法が中国や朝鮮から伝わりました。それが「味噌」。「未醤(みしょう)」って書いてますけど、それを絞っていったのが「ひしお」 醤油の「醤」と書きます。まだ醤油は出てきません。この頃は、ほとんど味を付けて煮たり焼いたりする技術はなくて、自分で食べる時に、調味料をかけるんです。塩と酢が基本で、これに醤がつきます。カツオの茹で汁を煮詰めた「いろり」もありました。これは、貴族や天皇家だけが用いていました。今の子供たちは、いろいろなソースをかける食べ方ですから、「万葉返り」。こんな風に、食べる人が加減するのを「uenbai塩梅する」っていうのです。味噌、醤油を使って味付けして、煮たり焼いたり和えたりする技術が生まれてくるのは、室町時代です。

6.魚は別にしても、食品食材は、全部外来。日本独自のものはないんですよ。

日本料理を考えるときには、室町以降を考えるんです。室町以前にも、多少は出てきますけど、たとえば豆腐は平安時代に、中国から渡ってきた。コンニャクもそうです。室町時代には、「そうめん」も出てくる。そうめんも、日本のものじゃない。三輪が発祥というけれど、実は中国。中国の宋の時代に生まれてるんです。そして、唐の時代に生まれたのが「麦なわ」。油を塗らないで米の粉を打ち粉にして、手延べしました。
油を塗ってのばすのは、宋の時代に中国で発明されて、日本に伝わったんです。味噌、醤油で味付けして、煮たり焼いたりする技術は、中国の精進料理からきている。「スーツァイ(素菜)」といいます。これは、禅宗のお坊さんとか、当時貿易に携わっていた人によって、日本に伝えられている。
室町時代は、中国から入ってきた料理法である調菜(精進料理)と、日本伝来の料理技術(刺し身の文化)が合体したときなんです。
ところで、日本伝来の技術というのは、「刺し身」。魚を切るだけの話でしょ。 「料理」の料は、米偏に升。はかるでしょ。理はおさめる。正しく計って、正しく切るというのが料理。つまり、刺し身です。

7.西洋の食文化に触れたのは、安土桃山時代

安土桃山時代になると、ポルトガル料理が入ってきました。そこで取り入れたのが、肉と野菜を一緒に煮たりすること。ポルトガル語で、「クシイト」   といいます。要するに、牛肉や豚肉と大根と一緒に煮た料理です。太閤秀吉は、ポルトガル人が食べている肉や卵の料理が好きでした。それから、「天ぷら」。今は揚げ物ですけど、本来は薬味をいっぱい入れて炒めるもの。天ぷらっていうのは、「薬味」という意味です。
元々のレシピを見ますと、ニンニクとか生姜とか胡椒とかで鶏肉を炒めている。そして、クチナシで黄色の色をつけています。油で揚げる「天ぷら」の原型は、元禄に入ってからです。その他に、カステラがあります。日本で大発展しました。

8.元禄になると、またまた中国料理の影響はすごかった。

中国福建省の禅宗の料理の影響は、大きい。黄檗宗といいます。料理名は「普茶料理」。日本の家庭料理で、油揚げを使いだすのは、この頃です。
「がんもどき」が生まれるのも、この頃。正しくは「ひろうす」っていいます。もともとはポルトガルの揚げ菓子。これが豆腐を使った加工品に変身します。 「ごま豆腐」も、この頃。八宝菜も、そう。八宝菜は、切りくずの野菜を全部炒めて煮て、葛で閉じます。「雲片」と言います。

9.幕末から明治にかけては、なんと「アメリカ料理」が一歩リード。

その頃の「アメリカ料理」は、よかったんです。昔ながらのオールドファッションのイングランド料理とか、フランス料理とかスペイン料理など、自分たちの出身地の料理を一生懸命作っては食べていた時代なんです。 そのアメリカ料理が、日本で流行しました。
そこから生まれたのは、カレーライス、トンカツ、そして大正時代には、ポテトコロッケやオムライス。いわゆる和風洋食の時代が来ました。

10.現代人の食生活は、食べ物の役割を無視していないか?

□「噛まない食生活」「お弁当商品」にもの申す。
お弁当って、もともとキレイなもの。彩りも豊かで、いろいろな食材がいろいろに調理さ
れて詰まっていたんです。蛋白質も、肉以外に、魚も卵も豆腐もあったり。もちろんご飯が主役ですけれど、土から下の野菜、根菜類。土から上の野菜、葉果菜類。そしてきのこ、海藻などが、すべてお弁当に詰まっていたのです。
いま街角で買ってくるお弁当は、ほとんど肉類と揚げ物。元々これらはお弁当には入っ   ていなかったものでした。日本の伝統的な調理というのは、5つ。生で食べる刺し身。なます、きちっと酢でしめてる。それから、焼く、煮る、和える、炊くですね。油脂をほとんど使わないで調理する。だから、冷めても美味しく食べられる。日本人が食べている米はジャポニカと呼び、冷めても美味しく食べられるために、お弁当の文化が発達したのです。
最近のお弁当には、野菜は少なく、ことに根菜類の煮しめは入っていません。
根菜を食べなくなって、日本人に消化器系のガンが増えているといわれています。

それに、「噛む食生活」が薄れている。根菜も噛む食べ方の食材です。
最近の子供は、小さいときから、噛んでいない子が多い。根菜を食べていないというのは、噛む訓練ができていないってことなんです。
スナック菓子だって、噛むのは1~2回。ほとんど空気。82%が空気です。
ついでですが、大学生に「かたいもの」を問うたら、答えられたのは和食派の学生でし
た。

それから、歯並びでも、和食派で噛む食生活をしているとキレイだといいます。噛まない食生活をしていると、凸凹に入り乱れる歯並びになりがちというのです。私の面白い実験結果ですが、和食派と洋食派を交差点に連れていって待たすのです。グッと奥歯をかみしめて待つのは、和食派。洋食派は、ポカンと口開けてキョロキョロしている。日本人の肉の評価は、軟らかいをよしとしますが、アメリカ人に聞くと、「私らは、かたいものが好き」って言う。日本の肉は、おいしいけれど柔らかすぎるといいます。アメリカの肉はかたいけれど、噛めば噛むほど味が出るっていってます。

□ 日本人が食べてきた食品数は、世界一。しっかり食べよう!
肉も食べ、魚も食べ、牛乳も飲み、野菜もきのこも海藻もしっかり、穀物も芋類もキチンと食べるというのが、体には必要なんです。それが十分にできるのが、日本。世界で、これだけのものを食べてきた民族はいないですよ。

まず、エネルギー源。
米を食べ、麦を食べ、アワ、ヒエを食べ、芋を食べ、そばを食べている。エネルギー源の
種類の多さは、世界一でしょう。
おかずばかりでエネルギーをというのは、体調おかしくなりますよ。体のしくみを理解し
て、食べ方考えないとだめ。
蛋白源は、肉類、魚貝類、大豆や豆腐、卵など、実にバラエティに富んでいます。

次に野菜。
根菜類をこんなに食べてきた民族はいません。ごぼうやレンコン、コンニャクなんて。
そこに、緑の葉っぱ類も果菜もいろいろ。
外国の野菜は、レタス、チコリと、白っぽいでしょ。日本の伝統野菜、ことに葉菜類は緑が濃いのが特徴です。いっぺん見直して、しっかり食べなきゃいけない。残念なのは、若い方々に野菜嫌いが多いこと。だいたい、街のお弁当屋のお弁当では、野菜は枕。その枕のキャベツも食べる人が少ないんです。これでは体がおかしくなります。

□「売れるお弁当」づくりをして、実感したこと。
まず、大学の学食のお弁当づくりをした体験談です。学生が利用しないので業者が撤退した後、引き受けたのですが、おいしくて安くて、体によい料理を提供し、採算が合うお弁当づくりは大変です。料理もデザートも、全部手作り、料理は全部、日替わりということを基本にしてやりました。先にも話しましたが、日本人は、毎日内容が変わらないと納得しないんです。私としては、伝統食の復権を願っていましたが、学食では無理でした。
食べる方にも習慣があるし、伝統食を全く食べたことない学生が多いため、売れませんでした。価格には、こだわりました。250円から300円で、120食から150食売ることをめざして、中身を考え続けました。しんどかったですね。結局、チキンフライとか唐揚げがよく売れて、塩焼きの魚がちょっと売れるって風だったので、とうとう値段を420円にして「豚カツ定食」やりました。80gの肉を、叩いてのばしてね。行列ができました。
お金を払う価値には敏感なんですね。学生だけでなく、職員まで、朝チケットを買っておくという人気ぶりでしたよ。肉と油ものが大好物なんですよ、今の人は。この方が腹にどしっときて、食べた!という気になります。分ります、その気持ちは。それに、この冬売れたのは「おでんカレー」。大根、コンニャク、厚揚げ、じゃがいも、にんじんを一口サイズに切り、薄味で煮て、カレーソースは、別に手作りしておく。ご飯の横にカレーソースを添えて、おでんをのせるだけの話。
学生には、昔の伝統料理なんて、食べたことないから分からないのだけど、おからやヒ   ジキ、切り干し大根の煮たのを出し続けると、ボツボツ売れだした。学習して覚えるん   ですね。家で出来ないことは、社会で教えるしかないと思いました。

もうひとつは、デパートのお弁当。私は、大阪の梅田の阪急百貨店で、弁当を売ってい   ます。50代以上の「キレイなお弁当好き」な人たち用です。場所柄、コマ劇場のお客さんにターゲット絞ってますけど、人気です。700円のちらし風、1000円と1200円は詰め合わせのお弁当です。揚げ物、炒め物は一切入れてない、伝統的な和食弁当だから、そういうものを食べて育った人たちには分かってもらえる。肉も入れてる。肉といっても、牛肉とプルーンを煮たり、豚肉となつめを煮るといった今風感覚も大事にしてます。健康的でおしゃれ。これが年配者には必要なんです。

□料理は、コミュニケーションあってこそ美味しくなる。
環境が変われば、食味も変わってくるんです。しょうもない料理でも、好きな人と食べれば美味しい。人が変わる度に味は変わる。味というのは、一定ではないんですよ。だから、美味しく食べさせるために、照明を変えたり、一輪の花を飾ったり、テーブルクロス変えたりするんですよ。
夫婦ふたりの食卓になったって、「あなたの好きなものつくりました」の一言があると違   う。そういうロマンを抱くってことが大事なんです。どれだけ美味しいものを作っても、ひとりで壁に向かって食べたら美味しくない。最近では、そんな若者が増えているけれど、これでいいのかなと心配しています。

それと、最近は、すぐ、「あれ食べたらここに効く」なんて、体のことしか言わない。もうちょっと大事なことがあるんじゃない?食べる、作るってことは、全部手作りでなくていいから、一緒に食べる、分かち合って食べる習慣が大切なんです。そこで、人の輪、人脈ができていく。料理や菓子、飲料は、コミュニケーションをとる装置になっているのです。   一つのものを食べながら、話を聞いたり、情報を交換していく。そういう場を通して   人間は大きくなれるのと違うのかな。
たとえば、お茶事もそう。あんなしちめんどくさい作法しながら一杯のお茶と懐石を楽   しむのは、サロンに集まった人たちの心を一つにしていく装置なんです。

□いつも思うけど、食べることを大切にする人は、いい仕事してる。
いい仕事する人は、食べること、飲むことにうるさい人だと思う。どうでもいいという人は、いい仕事ができない人だと思ってます。すべて雑なの。本当に食べることが好きな人って、仕事がキレイ。整理整頓、片づけ上手。料理人でも、この料理旨いなと思う人の料理はキレイです。それと、食べ物好きは、時代性に敏感です。
料理もかたちから入ろうとするとだめ。何か腰が引けちゃいます。自然に、これまでの体験に今日の気持ちをこめてみる。それでいい。たとえば、自分で作れないから買ってきたとする。それに、「私」をプラスすることが上手になることが大切。義務感なんかでなく、気楽に、今日の気分で演出するんです。私の家では、お客さんには、楽食、遊食で食事してもらいます。「遊楽(はやし)ご膳」なんてね。
楽しませてあげたいというサービス精神が、食には欠かせないということでしょうか。

 

 

日本の伝統食を考える会・宮本智恵子さん他のお話

伝統食への関心は、宮本さんの「引っ越し」から始まりました。大阪の東淀川区に引っ越して、ここではどんなものを食べているのだ ろうと町を歩き回ったことが、ことの発端。
「気がついたのは、お年寄りの多い所だなということ。それも、足さばきがいい。さっさと歩いているんですね。そこに栄養士生活で身についた聞きたがりがはじまったんです。どうして?どうして?何食べてるんですか」と聞いてまわったのでした。
答えは、「しょうもないもん。ごぼうとか、レンコンとか、茎ワカメ、煮豆とか」。
「これ、大事にせなあかん。みんなで広げよ」と、近所の人たちを誘ったのが、会の始まりです。

今では隔月発行の「伝統食だより」も115号。編集長の中筋恵子さん、料理指導担当の西野芙美子さんともども、日本の健康的食卓づくりに、まだまだ考えながら爆走中の方々です。

ご紹介: 宮本智恵子さんは、現在80歳。1981年に、栄養士生活40年の経験をふまえて、元気な人の食生活の秘密が「昔ながらのしょうもないもん」にあると知って、伝統食運動を開始。以来、20年余、日本の伝統食を考える会をひっぱってきました。

 

1.伝統食は、日常的なおふくろ料理

健康的な足取りのお年寄りたちの姿を見て、食べているものを聞いたら、「しょうもないもん」との答。米を主食にして、魚と大豆と野菜と海草を食べていたんです。魚といっても、鯛のお刺し身食べてるわけではなくて、いかなごのくぎ煮だったりする。こんな状況に出会って、会を発足することにしたのが、1981年です。
ちょうど、アメリカが「マクガバン・レポート」で、日本型食生活に注目した1977年の後で、この会の趣旨も注目されました。一方、学校給食で先割れスプーンが使われ始めて、新聞記事でも「魚離れますます顕著、コンビニ時代到来、手抜き上手の時代」がタイトルに登場した時代でもありました。
伝統食というのは、食べ方としては郷土色がありますけれど、基本的には、自然にとれる素材や調味料で、上手に食べてきた歴史の食べ物や食べ方なんです。食生活というのは、生活の仕方の一部としてあったわけですから、よく働き、しっかり食べるというバランスがあって、足腰丈夫なお年寄りが多かったのは、言うまでもありません。

2.大阪の伝統食は、「始末・算用・才覚」の料理です。

大阪は商人文化の土地です。ですから、農業も、料理も「始末・算用・才覚」が基本。
「始末」とは倹約のこと、「算用」は胸算用、そろばん算用がある、つまり金勘定です。    そして、それらの「才覚」をもちあわせていることが大切ということ。大阪の農業は、換金農業が多いのです。美味しい栗に、「銀寄せ」という名前が付いているくらいです。
野菜でも、有名な葉ごぼう、水なす。どれも高く売れる商品野菜ですよ。でも、最近は、輸入野菜に押されて低調な様子。何でもそうですが、その土地のもの大事にしたいなら、食べる人と生産する人が一体にならなくちゃだめです。会は、そこのつなぎをしたいと思っているのですが。
商売の道はともかく、それは当然料理にも反映してます。非常に上手に買物するところから始まって、最後の最後まで使い切るという、面白い料理がいくつも伝わっています。
たとえば「船場汁」。大阪の船場という土地で、商家で丁稚さんたちに食べさせる料理。前の晩の、鯖の骨を使いまして、翌日のお昼に、もう一品おつゆを作るんです。私もやってみましたけど、今の鯖じゃ出来ませんね。昔の鯖は、本当に新鮮で美味しかったのでしょう。それから、「半助鍋」。半助というのは、うなぎの蒲焼きを作るとき落とされた頭だけの鍋。頭だけ、一山いくらで売っているんですよ。もちろん、今でも。
それを買ってきて、焼き豆腐と鍋にする。「美味しいわ~」って笑って食べる。お値段は半分。昔は、1円を「円助」って言ったんです。その半分だから「半助」。関東と違って、蒸さずにつけ焼きしますから、おいしくてダシが出る。けれど、こうしたものも、子供たちには、美味しくないらしい。もったいないですよ。

3.伝統食には、塩の役割がある。「塩梅する」は味づくりの基本です。

もちろん、塩分のとり過ぎは、現代人の食生活のテーマです。
けれど、梅干しが塩っぱくない商品になっていくのをみると、塩と梅がかもしだす味は   遠くなりにけりの想いです。塩は、素材の味をひきだす役割がありますもの。たとえば「減塩梅」。結局20%くらいの塩分にしないと、梅の本当の酸っぱさはでないのに、塩分を落として、その代わり酒を入れたり焼酎を入れたりしている。塩分の落とし方も、初め普通の塩分で漬けて、あとから抜く。なんなのでしょうね。
梅干しだけ食べるわけじゃなくて、ご飯や野菜、果物とか食べていく食事の中で、体の   バランスをとっているのでしょうに。 西野さんの家では、良い梅を使って、しっかり重石を効かせて18%の塩です。水分が少ない梅だと、じゃりじゃりと塩が固まってしまう。塩も精製塩ではだめです。味噌汁にしたって、野菜をたっぷり入れて具だくさんにして食べることで、野菜に含まれるカリウムで塩分を排泄するという体の仕組みがあるのだから、味を犠牲にするような傾向には首傾げます。
普通の食事なら、「野菜だくさんの一汁+蛋白質の一菜」で十分ですよ。古来の発酵食品の味噌を悪者にしたくないと思ったり、梅干しの塩分をメチャメチャに控えたくないと奮闘中です。

 

4.「魚と大豆が蛋白源」をもっと奨めたい。

伝統食の欠点として、「牛乳や乳製品を使っていない」と指摘する栄養学的観点もありますが、それを補ってきたのは「魚と大豆」です。とくに、大豆は、食べ方や料理が広がっていない。日本人がこれだけ長寿できているのには、栄養バランスがいいということがあるけれど昭和35、6年頃の食生活が一番バランスがよかったといわれているでしょ。
米と魚と大豆という食べ方がふさわしいというのだから、これが楽しめる料理を広げていかなくちゃと思います。1992年11月に始まった「伝統食列車」活動は、伝統食がいきる郷土食との交流をしながら、日本列島に息づく豊かな農産物・海産物を歴訪するというものですが、行く先々で、「魚や大豆料理」に出会ったのは、うれしいことでした。
北国、山国、里、海辺の町や村に向けて、仕立てて走る伝統食との出会いの旅については「伝統食列車が走る」(つむぎ出版刊)に詳しいので省略します。
この日本列島に住むからには、魚とのつき合いというのを真剣に考えて、良い魚を美味しく食べること努力したいですね。日本型食生活が世界的に評価されているのは、魚食の日本人が長寿であることの事実にも注目したということなんです。
日本の近海は世界最大の漁場もあり、魚を捕る技術も世界一なのに、魚をもっと食べなくちゃと思いますよ。埋め立てしたりして漁場をなくしていたり、一方で養殖したりして、自ら魚食の必要性と美味しさを見放していると思わざるをえない現実もありますけど。
それに、昨今では、骨を取り除いたお魚が食べやすいということで、三枚に下ろして、二枚の身を卵白で張り合わせたお魚がでているのは、本当にびっくりです。お魚の食べ方だって、慣れればできますよ。子供でも。安いとか便利だってことが先行していきますと、何千年もかけて築いてきた日本の食文化がダメになる。祖先に対して申し訳ないと思います。

5.せめて50代に「伝統の野菜料理」「ダシの料理」復活へ。

伝統野菜が減ってきたという危機感から、最近では、伝統野菜を作る農家も出てきています。けれど、これも需要と供給の関係ですからね。
京野菜なんかは、錦市場の専門店もあって、産直でいろいろ出ています。けれど、作る場所が限られているようで、産地拡大は難しそうです。大阪野菜は、完全に中国野菜に押され放し。ほうれん草もキャベツも、作っても赤字になるので、土の中にすきこんでいるといいます。捨てに行くにもお金かかりますもん。
問題は、料理。私たち50代以上の年代は、小さい頃から、とにかくお手伝いをさせられてきましたから、その家の基本なのか、本当の基本なのかは分らないけれど、知らず知らずの内に、煮物には何を使うって、調味料の塩梅も、体で覚えていました。けれど、若い人たちには身についていない。何せ、野菜料理=サラダですからね。それに、野菜は添えものって意識でしょ。食べていないから、上手に作れないのです。嫌いじゃないと思いますけど、食べる機会がないから食べたい気持ちが起きないという悪循環になっているのです。

中筋さんは、「伝統食だより」の編集長のかたわら、京都で「伝統食弁当」のお店をやっているのですが、季節の伝統食野菜を取り入れるのは、楽しみの一つです。京都は野菜の種類も多く、伝統野菜は旬のものがほとんどなので、お弁当をつくる方も楽しい。値段も高いのだけれど、堀川ごぼうの季節はそれが楽しみたいですから。そこでしか出来ないし、独特の味があって、堀川ごぼうを食べるのが、その土地の文化になっているのです。
そこの土地独特の食べ方は、「土産土法」といいまして、その土地に産するものは、その土地の食べ方が一番美味しいのです。「伝統食弁当」は、そうしたものを食べて育った年代の方が主なお客さん。でも、親元離れて暮らす学生さんも、時々買っていきます。
いつか食べたことがあると、懐かしい味なのかもしれない。こうした人たちがいる間に  伝えておきたいと思うのです。

しかし、煮物、汁ものは、やっぱり「ダシ」。日本の食文化の特徴は、1に「稲作」、2に「醸造」、3に「ダシ汁」、4は「精神」だと外国の方の分析です。この内「ダシ汁文化」って、面白いと思いました。ダシをとって、そのダシでものを炊く。そういう料理法って、世界的にそんなにない。日本は、四面海に囲まれて、昆布とか鰹とかがあって、そういうもので、野菜や乾物を炊いてきたんです。ダシ汁を使ってきたので、油で揚げたり、炒めたりしないで、煮物が中心になってきた。それが、長寿と健康に役立ってきたのですから、伝承していかなくちゃと思うポイントです。
日本は、水もいいし、ダシもいい。幸せな国なんです。

6.玄米より雑穀に注目しています。

雑穀は、美味しいし、普通のお米にはない栄養価もあり、繊維も多くていいですよね。会でも、いろいろな雑穀を取り寄せて、米を洗う時に一握り入れるとか、好き好きにやっています。お米なら、分づき米をよく使います。
日本は、雑穀とは離れられない。伝統的に、大正時代は、国内での雑穀の消費量はすごかったんです。でも、今は、贅沢食になりつつある。「伝統食弁当」にも入れていますが、慣れている人は喜ぶし、初めての方は「何ですか?」って聞きます。 召し上がった方からは、「味がある」って感想が返ってきます。
玄米より扱い易いし、雑穀なら、普通のお米に一握り加えればいいから簡単です。

7.50代、がんばって!

食べることに一生懸命になるといっても、大事なのは食べることを楽しむことです。かなり古い話ですけれど、お父さんがちょうど芽吹き頃、子供を土手に連れていって、子供に持たせたお皿に味噌を塗って、「そこの草を食べてみろ」ってやったそうです。
ピリッとするものもあるし、苦いものもある。そうやって、食べられるものを教えたというのです。日常の中で教えていくという姿勢は続けたいですね。
食の大事さ楽しみを、いろいろな機会をとらえて、次の世代に見せていきたいですね。

50代って、ちょうど実りのとき。家の中だけでチンとしている人は少ないでしょ。まだまだ先が長い。それまでに蓄えた体力と知力を発揮して生きていくためには、まず健康。体は、更年期が過ぎれば安定期。ていねいにゆっくり食に向かってほしいと思います。しみじみと冬瓜を炊く日の楽しみも味わってください。

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