2003年4月 発行所 「50カラット会議」
50カラット会議レポート
34号
いまが、写真の整理時。
親の、子供の、自分の写真。それぞれの楽しみ
ことあるごとに、撮ったりいただいたりで溜まっていく写真。引越し以来、押入れの天袋に押し込めたままになっている古い写真も、気になります。みなさんは、いかがでしょうか。親がたくさんの写真を残して逝ったり、子供が独立したりして、そろそろ写真の整理時です。
思い出も、忘れていた記憶も取り戻してくれる写真ですから、折角なら片付けるなどと言わず、感動をたどる歴史の編纂気分で取り組みたいのですが。
Part1 では、専門家グループからの整理術を伺いました。
蛇の道はヘビに聞くシリーズ㉛
古い写真は、記憶の記録として保存したい。
親が残した膨大な量の写真に戸惑う人、親が元気なうちに古い写真の解説を聞いておきたいという人、育児期の写真を整理しながら自分の感動を確かめている人、日々の食事記録をデジカメで記録している人、大好きなボクサーをリングサイドに追っては撮り、引き伸ばして眺める人。写真への関心はそれぞれですが、溜まった写真の整理に思案中なのは共通でした。けれど、さすが閃きの5人!デザイナーの井上陽子さん、
塩沢圭子さん、林佳恵さん。ジャーナリストの吉田いち子さん、若林みどりさんです。
私もやってみようとその気になるアイデアも、沢山いただきました。
目次
1. 親たちが残した写真と自分の子供時代の写真には、自分のルーツを振り返る楽しみがあります。
2.この頃は、DPE代も安くなって、写す方も写される方も気軽。ことある毎に、写真はどんどん溜まっていきます。
3.古い写真の整理術は、自分史として編纂したい。親の、子供の、自分の写真、それぞれに感動のタイトルも。
4.最近の溜まった写真は、人別・テーマ別の仕分けから。アルバムは、薄くて軽くてどこにでも収まるのが一番。
5.整理していて気づくのは、撮り方への工夫。ほんのちょっとの愛情と技術で、被写体はイキイキするはず。
1. 親たちが残した写真と自分の子供時代の写真には、自分のルーツを振り返る楽しみがあります。
親たちの時代は、生活の節目節目で、ていねいに写真を撮っていた。だから写真は、どれも生活文化を伝えてくれる。
感動 ①
親のまわりに生きてきた人々を知り、人と人の関係の不思議さに感動します。
感動 ②
親たちの生きてきた生活環境やファッションをみると、風俗史的資料価値があると目をみはります。
感動 ③
若い母の姿を見つけて感動。記憶にない自分の姿や、親たちの愛情に出会って感動!
感動 ④
親が残したもので、始末に困るのは、着物、写真、作品など。全部はとても、取っておけない。
最近の写真は、瞬間を楽しむものが多い。 生活をかみしめるような1枚は見当たらない。
インスタントカメラになり、自動販売機で使い捨てカメラを買う時代を通ったせいか、最近手元に集まるのは、スナップ写真がほとんどです。
この楽しさ、この可笑しさ、この可愛らしさ!と、次々に撮った写真です。けれど、親たちの人生での写真は、アルバムにも、写真を撮ることの重々しさを
感じさせる立派さがあります。ビロードを張った厚い表紙、房のついた絹糸の紐、写真を止めるコーナーにもそっとデザインがほどこされています。
写真は、写真館で撮ったか、写真屋さんが出張して来て撮ったものなのでしょう。
前の日から、髪も着物も整えて、カメラの前に立った気合いさえ伝わります。高校生たちの写真の楽しみ方は、その場にいない人と共有する話のネタ用だと
いいます。携帯電話での写メールもそうですが、話が終われば消してしまう写真です。
写真の楽しみ方は、時代と共に、まだまだ変わっていくのでしょう。けれど、古い写真を見ていると、時には自分を確かめるように、きちんとカメラの
前に立つのもいいという気持ちになります。
写真で出会う人々に想いを馳せる。
□ 母が残した写真から・・
昨年母を亡くして、残されたすごい量の写真に、目下呆然というのは、吉田いち子さんです。
「母の写真は、きれいに整理されているならともかく、時間の流れも前後して、わけの分らない状態です。子供の頃からお嫁に来た頃のものからあります。しかも、一箇所にまとめてあったというより、どこからでも出てきたの。母の写真には、父のも、おじいちゃま、おばあちゃまのものも混ざっていますし、仲人を沢山やった人なので、そんなこんなも一緒くた。とりあえず、トランクに詰めて、納戸に収めました。
それでなくても、昔からの料理屋をやっていたので、ものだらけ。いつになったら写真の整理に行き着くのか、めども立ちません。
それなのに、今度一緒に暮らし始めた姑は油絵をやってる。作品は気が狂うほどあるのよ。先々のこと考えると、めまいですよ・・・」と、口火を切ってくださいました。写真の間には、昭和30年代の16ミリフィルムもあったそうです。
「見ると、まったく見たこともない若い父と母がそこにいて、涙が出て、泣いちゃいました。夜中に、山積みの荷物の間で、カタカタカタカタ回して、こんな時代があったのかぁって感動しました。これも、簡単な方法で残せたらと思います」。
□ 夫の父は、「伊達男」だったらしい・・・
「50代で亡くなった人なのですが、その人のアルバムが残っているの。22,3歳の慶應の学生だった頃の写真なんだけれど、とても興味深い。
黒いアルバムで、写真の横に、自分で書いた詩がついている。結構おしゃれな人だったようで、伊達男なの。文学青年だったのねって眺めてます」と微笑むのは、井上陽子さんです。
□ 農家の鴨居で、その家代々の顔に挨拶する。
「地方に講演に出かけることが多いと、家々にある祖先たちの写真に出会います」とおっしゃるのは、林佳恵さんです。
「いつも泊めていただく農家には、仏壇があって、神棚があって、お部屋の鴨居の上に戦争で亡くなった方や祖先の写真が飾ってある。そこの方とお話していると、あのお孫さんとあの写真の方とそうつながっているのかなんて、人と人とのつながりの不思議さを感じますね」。
今都会ではほとんど見かけなくなった鴨居の上の祖先たちの写真は、その家の守り神のような存在なのかも知れません。
□ 昔の写真のポーズは、微笑ましい。
スナップ写真でも、ていねいに撮っているので、それぞれポーズを決めています。 「まっすぐカメラを見ているというのが多いですね。木陰で、そっと枝に手をかけているとか、片足をぴゅっと上げているのも多い。男の人は、両手を腰に当てて、足を踏ん張っていたりする」。
写真館で撮った記念写真は、誰もが賢そう。ポーズのせいかしらん。
2.この頃は、DPE代も安くなって、写す方も写される方も気軽。ことある毎に、写真はどんどん溜まっていきます。
今までの撮り方とこれから
たくさん撮りました。
なんといっても、育児中は写真を撮りまくった。毎日の成長に感動していたがいま眺めると、よくやったなぁと自分の過去に感動します。
たくさん頂きました。
出かけると、同行のそれぞれから写真が届く。取っておくのは自分が気に入る写真だけ。孫やペットの写真は、眺めて元気になる癒し系です。
安易に撮るから、撮る人に愛情がないと写真にも愛想がない。ただ写っているだけという写真は、差上げてもご迷惑かも・・・
➡「自分用」に撮り始めました。
この頃の被写体は、記憶代わりの記録に関心が広がりました。写真を趣味にすると、思い切り引き伸ばして壁のpictureに。
頂きものに感動すると、1枚。はがきプリントにして、お礼状出します。
せっかく頂いた写真も、自分がヘンに写っていると、そのまましまいこんで二度と見ないという経験は、みんな持っています。
写っているからというだけの理由で差上げるのはよそうと思う理由です。その代わりと言っては何ですが、最近の関心は、自分自身の楽しみです。
カメラはいつも手元にあるので、窓辺に飛んでくる小鳥を撮ることもありますが、最近は記憶代わりの記録に、カメラが大活躍です。
毎晩の食卓と献立を日誌として撮ります、ベランダの草花園芸日誌、手芸の作品や力作のお菓子も記録します。
いろいろある中で、林佳恵さんの「頂きものの写真、撮ります」には、一同なるほどと感心しました。花や野菜を届けていただくと、その瑞々しさや野生味や色に心打たれて、思わず写真を撮ったのが始まりですが、その写真をはがきプリントして、お礼状をしたためるのが習慣だそう。受け取る方の驚く顔が浮かびます。
写真をとることは、日常の動作になっています。
□ 未整理の家族写真は、箱にいっぱい。
「下の娘が生まれてからは、写真の整理も滞って、幼い頃の娘たちの写真は、どっちがどっちなのか分らない状態。似ているんですもの!」と笑うのは、若林みどりさん。箱に押し込むにしても、メモは必要なのですね。もっとも、若林さんの家族写真の整理係は、編集好きのお母様が引き受けてくださって
いるとか。もう安心です。
□ 写真で、食事日誌を続けています。
いろいろ作っても、食べるだけじゃもったいないと、晩の食卓を撮り始めて8年というのは、井上陽子さんです。
「初めは、ふつうのカメラ、バカチョンカメラで撮っていました。私はプリントした写真が好きなので、印刷したら、A4判のファイルアルバムか写真屋さんでくれるポケットアルバムに入れておきます。でも、最近は、さすがにすごい量になったので、夫がデジタルで撮って編集するようになりました。
続けていると、その頃はこんなものに凝っていたのねとか、最近食べないねなんていう食べ物の傾向なんかも見えて、面白いです。きっかけは忘れましたが、池波正太郎さんの食事日誌が面白くて、それで始めてみようと思ったのかも・・」と、振り返ります。
□ 趣味の仲間は、写真が大好き。
おさらいの会があるような趣味の仲間に入っていると、会えば写真交換会というぐあいだそうです。林佳恵さん、吉田いち子さん、若林みどりさんがご一緒の神楽坂女声合唱団も、ご多分に漏れません。「2000年からだから、そりゃすごい量ですよ。神楽坂箱、作ってます。そろそろ片付けないと、訳分らなくなりそう。なにしろ、同じ衣装で、あちこちなんですから」。
□ 日々の感激に、カメラは自然に登場します。
接写する面白さに気づいたのは、塩沢圭子さんです。 「採りたてのきゅうりを撮ると、トゲの部分の先に、まんまるの球が付いているの。それに気づいて、私、宇宙の何かに出会ったみたいに感激しちゃった。これが、きゅうりのチクチクなの。採れたてじゃないと、この球はないのよ」。 頂きものの花や野菜を撮るのが楽しみとおっしゃる林佳恵さんも、「そう、見えない世界が見えますね」と、共感します。
「びわを頂いたとき、そのびわがそれぞれ小さな袋をかぶっていたの。枝がついているものもあったりで、とても可愛くて、すぐ写真。お礼の電話をかけたら、忙しくて袋を外せなくてごめんということだったけれど、私たちには新鮮でステキでした。自然との距離に感激したりするのかな」。
中学時代は写真部だったという林さんは、写真を撮るのが大好きです。孫の写真、ボクサーの写真は、気に入ったものを思い切り引き伸ばし、冷蔵庫から壁まで、いっぱい貼ってあります。仕事に疲れたとき、心を癒してくれるのもそんな写真たち、という暮らしがあります。
3.古い写真は、記憶の記録として編纂したい。親の、子供の、自分の写真、それぞれに感動のタイトルも。
いまが、写真の整理時。
親の記憶がしっかりしている内に、古い写真を通して昔の話を聞いておきたい。 育児期の子供の写真は、子供の独立時に、きちんと渡してやりたい。
〇親の写真
親の人生をたどる写真には、知らない人がたくさん登場する。家族形態、髪や着物の流行、写真の背景にある町や家のたたずまいについても、親の懐かしむ語り口で記録しておきたい。
〇子供の写真
育児期の子供の写真は、親自身の生活の記録になっている。子供には記憶がないエピソードや、その時々の親の気持ちや状況を、写真に添えて残すダイジェストを作ってみたい。
〇自分の写真
自分の写真は、死後残された人の迷惑も考えて、整理しておきたい。残したくないもの、気に入らない表情の写真は捨て大切にしたい記憶だけを寄せ集めた1冊にまとめておきたい。
自分を振り返る作業としても楽しめます。
自分自身の写真は、捨てるのも比較的簡単です。例えば、離婚経験のある人は、それまでの結婚生活にまつわる写真は、始末しましたと言います。
ですから、その時期は、空白です。けれど、写真は、自分が生きた記憶を呼び覚ましてくれる貴重な記録。 大切に取っておきたい記憶の数々の整理には、力が入ります。中でも、育児期の写真は、子供への感動で撮った写真なのに、いまとなると、がんばった自分の過去に感動しながらの整理になるそうです。 段ボール箱にいっぱいの写真から、1冊のアルバムをつくるには、親たちの、 子供たちの、自分自身のアルバムにつけるタイトルともいうべき視点が必要な ようです。
親の写真には、「自分のルーツをたどりながら、親たちの暮らしの匂いをかぐつもり」という楽しみを持つ方が多いようでした。
写真を整理しながら、気持ちを整理しています。
□ 只今、母から聞き取り中です。
塩沢圭子さんは、87歳におなりのお母さまから、古い写真を挟んで、いろいろな話を聞き始めました。 「母としてというより、ひとりの女性としての話が聞けて、面白いです。女学校時代のこととか、母はイキイキと話してくれます。父のことを聞きながら、私も父の髭の感じを思い出したりしています。写真で着ている着物で思い出すこともあるようで、母も昔のことを聞かれるのを喜んでいるようです。
母の両親の写真が出てきました。まっ茶色になっていたんですが、写真屋さんに持って行ったら、きれいに復元しました。祖母が職業を持っていたということも分りました。そのうち、主人の方の写真も整理してあげようかなって思います」。
□ 育児期の写真整理は、鼻歌歌いながらのお楽しみ。
日常の写真は編集好きのお母様任せという若林みどりさんも、いつかは、娘ふたりにそれぞれ1冊のダイジェストを作ろうと楽しみにしています。
「その時は、ベビーシッターさんが毎日記録してくれていた日誌も参考になりますね」と、気持ちはすっかり準備ができました。
「この機会に整理してみました」と、塩沢圭子さんは息子さんの写真を整理したアルバムを見せてくださいました。
「誕生のときから幼児期までは、親も夢中だったし、子供自身にも記憶があるわけではないので、忘れないでおきたい記憶を中心に、写真のシーンを補うものを、できるだけ収めました。お昼寝のテーマ曲の楽譜、初めての手作り絵本も挟みました。初めての言葉とか、食べる時に頂きますって言えなくて、ババーシュって言っていたこととか、何が好きだったとか、3時はパパがミルクを与える役だったとか・・・。本人は覚えているはずがないことは、写真に書き付けておこうと思いました。コメントのない写真は、無声映画みたいでしょ」。
塩沢さんのアルバムづくりには、アメリカ製の写真整理キットが使われていました。台紙の色、文字のロゴもいろいろな色大きさ形で、レイアウトを楽しく見せています。さすがデザイナーといえばそれまでですが、「気分転換になるのよ。整理しながら、よくやったなぁなんて自分を褒めたりして、気持ちがいいですよ」と、一同をやる気にさせてくれました。
□ 自分の写真は・・・
残す、残さないはともかく、たくさんある写真の始末を、ダイジェストの1冊にしておくということには、何やら楽しみもあります。
「気に入った写真ばかり集めちゃって、ステキな女性!なんて自画自賛しようかな」と、笑いもこみ上げてきます。後々、子供たちから言われる「やだ、お母さんったら!冗談ばっかり!」なんて声を想像しながらというのも一興でしょうか。そうとなれば、これからは写真を意識して、体磨きにもがんばらなくちゃ! 口はへの字にしない、口紅くらいはいつも心がける!背中も伸ばします!というわけで、撮ってくださるときは、くれぐれも愛情たっぷりでお願いします。
4. 最近の溜まった写真は、人別・テーマ別の仕分けから。アルバムは、薄くて軽くてどこにでも収まるのが一番。
現状は・・・
うっかりすると溜まる一方。整理が間に合わなくて、DPE店でもらうポケットアルバムに収めておくのが精一杯。写真屋さんの紙袋のまま、箱に放りこん
でいる人も、案外多い。
撮り合って増えます
旅先では写真はふんだんに撮る。同じ人、同じ場所を撮っても、撮る人が違うと、写真の表情が違うから面白い。とっておくのは、自分がキレイに撮れているものだけ。ごめん!
新しい到来写真も・・・
孫の写真がやってきた!傍目には同じような写真が次々と届きます。忙しい親に代わって、整理役を引き受けて楽しむ人もいるようです。
デジカメ、活用します
定点観測的な記録に、写真は便利。デジカメに記憶させる方法がいい。感動を分かち合うとか、人にみせたい写真は、思い切りpictureとして
楽しむ方法を考えたい。
仕分けに便利なのは、DPEの都度もらうポケットアルバム
インスタントカメラ時代の写真の整理は、台紙を増やせるアルバムが全盛だったけれど、とにかくあの大きさで、20枚の台紙を挟むと、1冊の重さは大変なもの。 「本棚に幅3メートル分あります」という塩沢圭子さんでなくても、このまま増えると置き場所に困ります。 「もう大きなアルバムに収めるのは、止めました」という人が増えています。 大きなアルバムは、ダイジェスト編纂という時に選ぶことにして、ふだんは無料で頂く簡易アルバムに収めておくのが一番だというのです。32枚撮りのフィルム1本分が収まるポケットアルバムになっていますから、それは重宝。表紙に日付や何の写真かを記しておけば、完璧です。 「アルバムに貼り終わったところに、それ以前の写真が届いて、順序が狂った!なんていうがっかりも起きないしね」とのことでした。
みなさんは、どうしていらっしゃいますか?
しまうだけでなく、飾ったり、持ち歩いたり。
□ 顔があるものって、捨てられない・・・
「自分の顔だと平気なんだけど、他はだめ。お人形やぬいぐるみも捨てにくいけれど写真って捨てられない」という人は、多くいます。どこかに入れたまま見ないなら、ごみと一緒。捨てても同じと思わないではないけれどと言います。「たとえ自分の写真でも、捨てる時は、ごみ袋の外から見えないようにして捨てます。紙袋に入れて、しっかり封をしてね」とおっしゃるのは、林佳恵さんです。
□ 最近、写真を持ち歩く人が増えています。
「男の方ですけれど、ペットのうさぎの写真を持っていらして、見せてくれた。どんなに可愛いか、話も尽きませんでした」と、思い出し笑いする人がいます。 若林みどりさんのお父様は、当時は珍しい徹底したマイホームパパだったとか。「仕事場の机の上に、家族の写真を飾っていたという人です。戦争で生き残って、自分の人生を大事にと思ったそうで、その主張として、写真を飾っていたらしいの。当時としては、後ろ指ものだったようですよ」と、話してくださいました。「ほんと、この頃、ご家族の写真を持って歩く男の人、いますね。見せてって言うと、出てきますよ」と、塩沢さんも微笑みます。
かく申す私も、10年くらい前に夫の定期入れに、自分が気に入った写真を強引に押し込んだ体験があります。あの写真、どうなったのでしょうか。気になります。
□ デジカメ体験
みなさん、アナログ人間を自称する割には、デジカメは体験済みです。「記録ものには、デジカメっていいですよ。必要なものだけ残して、あとはカットできるし、パソコンに取り込めば、直ちにプリントもできて、DPEに出す必要もない」 「プロの写真家は、デジカメ使わないですよね。ここだ!という瞬間にシャッターを押すのに、デジカメだと一瞬ずれるからかな」 「確かに、止まっているものを撮るのはいいけれど、表情のあるもの動いているものを捉えるのは、難しい」という実感です。それに、修正が自由自在なのも凄い。 「シワは消せちゃうし!」と、喜びました。
□ 撮った写真をCDに焼いて保存したけれど・・・
あまりの写真の量に、CDに焼いたという人がいます。 「そしたら、見ないの。見られない。みんなでパソコンの画面を覗き込んで見るなんてね。やっぱり、これっていう写真は、プリントして眺められるようにしたい」。写真屋さんからの帰り道、家までの時間が待ち遠しくて、道端に立ち止まって、袋をのぞき込んだ経験を持つ人たちには、紙の写真がいいようです。 大きなアルバムを広げて整理する時間が取れない生活では、とりあえず、まとめておける無料のポケットアルバムに押しこむ方が、CDより実用的という評価です。
5. 整理していて気づくのは、撮り方への工夫。
ほんのちょっとの愛情と技術で、被写体はイキイキします。
きれいに撮るには
「写真館の写真」は、いかが?
写真はいくらもあるのに、いざフォーマル用となるとこれという写真が見つからないものです。「母がなくなったとき、あわてました」体験から、毎年お葬式用を撮っておこうかなと真顔の人もいます。
キレイに撮ってあげよう という気持ちをよろしく!
頂きものの写真に、気に入ったものが少ないのは、撮る人に愛情が足りないからという人がいます。可愛く撮りたい、キレイに撮ってあげたいという気持ちをお忘れなく。
表情を写そうとすればもっと人に近づいて!
うしろの風景も一緒になんて思わずに、人だけ撮るつもりの方がいいようです。写っているだけで、表情も不確かでは詰まりません。上半身を撮るつもりがいいみたい。
それぞれの家に残された史的価値ある写真で、「家族のルーツ写真展」を開きたいですね。
「親が残した写真は、1冊のアルバムにまとめたら、あとは始末するつもり」と誰かがもらすと、一同うなづきました。 「母の若くてきれいな写真を見つけたので、仏壇代わりに立てています」など必要な写真をより分けて、あとは廃棄するつもりです。けれど、話せば話すほど、それぞれの家に残された家族の肖像は、その家だけに留まらない興味津々な背景を秘めているようなのです。
昔から続いた料理屋だった家、地方の名家、代々医者だった家庭、商家など聞けば聞くほど、生活文化にも習慣にも独特な様子がしのばれます。
「写真って、捨てにくいですよね。写真供養でもないかしら」と誰かが言えば、「風俗史的な資料価値があることだし、余った写真を集めて写真展が開けるのでは・・」「私は、着物の流行という視点で、いろいろな写真を見てみたい」と、 古い写真は、私たちに新しい活動への宿題をくれたのでした。
せっかくだから、上手に撮りたい。
□ 撮り方で、よく見えます。
「毎日のお弁当を撮っているという方の写真を見せていただいた時、もう少し工夫して撮ったら、もっと美味しそうに見えたのにと、残念だった経験があります」とおっしゃるのは、雑誌に携わっている若林みどりさんです。どの方向から撮るかとか、シートやマットの使い方とか、フラッシュに頼らず自然光のある窓辺で撮るとか、ほんの少しの工夫があればと、惜しく思ったそうです。 食事日誌のつもりで、晩ごはんを撮っている井上陽子さんも、「もったいないですね」と相槌を打ちました。
□ いい写真、好きな写真。
「写真って、不思議。人がいいと選ぶ写真って、たいてい本人は気に入らないの。本人が好きなのは、ちょっと違う。面白いですね」と塩沢さんが口を開くと、みんな思い当たる節がありそうです。雑誌で、いろいろな方の写真を選ぶ機会が多い若林さんも、「私たちは、精一杯きれいで魅力的に撮れたと思う写真を選んだつもりなのに、ご本人はご不満ということはよくあります」と、振り返ります。
「だから、私は、自分のお葬式の写真、自分で決めてるわ」とおっしゃるのは、塩沢さんです。 「私の両親は、毎年撮りなおしています。好きな写真を選んでおくというのもいいわ」と、50カラット会議のインタビュアをしている田村亮子さん。
最近は、スナップ写真が多いので、特別に写真館に行って撮るということもしなくなりましたが、いざというとき「ありあわせの写真」で済ませられたくなければ、お気に入りの1枚は用意しておいた方がよさそうです。
□ 古い写真の史料的価値は大切にしたい。
吉田いち子さんのご両親の家は、文化財に指定されています。それほどの家ですと、昔の暮らしぶりや習慣を偲ばせるものもいろいろあり、写真にもそうだったのか!という風景が写っているというわけです。「親が残した写真には、仲人をした人たちの結婚式の写真がいっぱいあるの。これは困る。ごめんなさい!って始末します。そういえば、御真影もありました。あれも、どうしたものか・・・」昔の白黒の写真には、小学校の代々の校長先生がいたり、お相撲さんが混じっていたりもするそうです。私たちでもこんなに戸惑うのですから、子供たちには、お荷物以外の何物でもなくなる写真です。捨て時でしょうか。
林佳恵さんは、着物を研究していらっしゃるので、明治時代の写真を見ると、着物に目が行くそうです。「凄くモダンな柄に出会って、びっくりすることありますね。着方にも流行があったりして・・」と、吉田さんの写真にも興味津々です。それにしても、吉田いち子さんちの納戸のトランク、いつ開くのでしょうね。