2006年10月 発行所 「50カラット会議」
50カラット会議レポート
59号
母と私と娘の時代。
建築家、管理栄養士、食品ディレクター、企画編集者。4人の方の生き方を、「我が家の女三代記」として振り返っていただきました。
『女の時代』といわれたものの、仕事と子育て両方を楽しむには、体カ・努カ・味方に出あう幸運が必要でした。理解ある先輩、子育てを共闘した仕事仲間や夫に出会えた幸運を噛みしめながら、娘たちとの絆を語りました。「いまだに保育園のお迎え時間に間に合わない!と焦る夢を見ます・・」と笑いながらも、30代を向かえる娘たちに何が伝えられただろうかと未来を探った会議でした。
蛇の道はヘビに聞くシリーズ59
母と私と娘の時代
◇自己紹介
◇「働きたいというよりは、収入を得て自立していたいと思っていました」 ◇結婚は、「自然の成り行き」「若気の至り」「お母さんになりたかったし」と理由様々
◇仕事か結婚かだった先輩たちが、「子供も産みなさい」つて言ってくれた。大きな味方でした。 ◇「子供は、主人が、特に欲しくはないけれど、いなければならない存在な気がするって言ったの。そうだなと思いました」 ◇「子育ては、時間との戦いでした。仲間との共闘でした」 ◇愛は胃を通る。「週末は一週間分のおかず作りで明け暮れました」 ◇ 教育は親からの贈りもの。張り切りました。 ◇ 「総じて、団塊の世代は子育て上手とはいい難い。悩んでいる人は多い」
◇ 「母には、弱い自分は見せられない。病気になれない、入院する時は出張中とでも言わなくちゃ!」 ◇ 仕事に夢中、子供に熱中。振り返ると、全部自分のためだった。
田村 本日は「娘と私」というテーマです。 まずはご自身がどんな風に育ってきて、どんな風に仕事を選んで続けてきたのかから始めて、娘たちにどう生きて欲しいと願っているのか、どういう社会になると読んで娘たちを育ててきたのか、娘には何を一番伝えたかったのかということをお話いただきたいと思います。
母親、ご自分、娘の女三代記を伺うことになりそうですね。まずは自己紹介からお願いします。
食品デイレクター(以下「食品業」) 22歳の娘、1人と夫婦の核家族です。私はショップのディレクションが仕事です。
管理栄養士・医学博士(以下「医博」) 食と栄養の仕事をしています。22歳になる娘が一人だけいます)。
建築家 女ばっかり4人の建築事務所をしています。お互いに助け合って子育てをしました。うちが一番大きいかな。30歳と27歳の娘が二人います。上は3年位前に結
婚して、オランダ在住c。まだ子どもはいません。遊び狂ってますね。下はパラサイトという感じ。
編集者 私は女性がたくさんいる出版社で仕事をしてきました。娘は2人おりまして、30歳と下が23歳上の子は色々していましたけど、今はアロマの研究をしています。下の子は、大学を出てから困芸学校へ行って、今度インテリア関係の仕事に就職が決まりました。
【働きたいというよりは収入を得て自立したいと思っていました。】
田村 お嬢さんの話の前に、ご自身のことを伺います。ずっと働いてらしたど思いますが、働くって当たり前でしたか?
食品業 自分の将来を初めて考えたのは、幼稚園のお絵かきの時間。「はい、みんな何になりたいのかな?お嫁さんかな?」 って言われて、「お嫁さんじゃないんだよなぁ」と考えたのね。先生に「何になりたいの?」と聞かれて、「分からないけど、働く人になりたい」と答えたんです。お嫁さんでもお姫様でもなくて、働く人と言ったら、先生が「じやあ、看護婦さん描きましよう」って・・。それで看護婦さんの白い帽子の丸いの描いたんですけど、「そうじゃないんだよなぁ」ど思ってました。つらつら紐解くに、完璧に主婦と妻をやっていた母のストレスを見ていたことが原点かな。何かの時に母のそんな発言があって、自分は仕事する、ああいう風にはならないぞ!と心に決めたのでしょうね。
医博 私は大学に入るまでは何も考えていませんでした。女の子は、キレイでお稽古事ができればいいというのが父の方針だったので、勉強はあまりしなかったんです。ところが、三年生の時に返さなくていい奨学金があって、応募しました。その奨学金のテーマが、自分が女性として学んでいることを社会にどういう風に還元したらいいかということだった。返さなくていい奨学金があまりに欲しかったものですから、真剣に考えて一枚の論文にしました。それを全うする為に今まできたという感じかな。
建築家 私が目覚めたのは高校生の後半くらい。私の母も女学校を出てから1度も働いたことのない専業主婦でした。 ある時ポツリと「私は一度も働いたことがなくて、一銭も稼いだことがないの」と言ったんですよ。私は三人兄弟で下に弟がいまして、弟も高校牛になっていましたが、母は「子育てをすることもなくなっちゃったし、これから私は何をすればいいんだろう?」と言ったんですよね。今が一番幸せな時だと思うとは言っていましたが、「これから何をしたらいいんだろう?」とつぶやいたの。仕事をした方が、年を取ってから後悔しないかなと、その時に思いました。
田村 大学に入る時には既に職業を持つと決めていたというごとですか?
建築家 そうです。どこに行ったらずっと続けられる職業に就けるかと考えました。何かないかなと思って、建築にしました。
編集者 私も幼稚園の時に「社会のために何かする人」と書いたのを覚えています。意識していたんですね。私は三人兄弟ですけど、下の弟は父と向じように技師さんになりたいと言って、きっちりそのままの仕事に就きました。私は小さい頃から物を書くのが好きだったので、物を書く仕事をしたいと思ったし、働きたいというよりは、自分で収入を持って自立したいと思ってました。サラリーマンの家庭でしたが、お嬢様育ちの母は父のお給料をすぐに使ってしまう。そうするとお金がないとか何とか言って、「今月は生活費がもうなくなったわ」とか言う。子どもながらに嫌だなと思っていたんですよ。
でも、母はある時フッと思い立って、習い事を人に教え始めたんです。お教室を始めたの。そこで得たお金で,自分の旅行へ行ったり、家族で旅行へ行ったり始めました。その時「なるほど、足りなければ自分で働けばいいんだ。楽しみながら収入を得て、人生を楽しむっていいな」と学びました。
【結婚は「自然の成り行き」「若気の至り」「お母さんになりたかったし」と理由様々】
田村 前の世代には、結婚がゴール、人生は男次第というのがありましたが、結婚というのは目標ではなかったんですか?
編集者 結婚は人生のOne of them 。結婚もするけれど、それだけではないと思っていました。私は、学生の間に知り合った人と結婚しました。共闘という言葉がありますが、まさに共闘してここまできたという感じかな。
建築家
私は、結婚は若気の至りでついその気になっちゃった。まぁそんなに深く考えずにポーっとなって結婚しちゃったという・・。
夫は建築関係の同業者だったので、もうほとんど帰ってこないという感じの仕事。結婚そのものが仕事に差し障ったことはないけれど、子育ては私の担当みたいになったので、私の仕事に全然影響がないということはなかったですね。
食品業
私は、小学校からずっと女子高だったからまわりに男性がいない環境でずっと大きくなりました。多くの女の子は、高校大学くらいでボーイフレンドができたけれど、私はボーイフレンドはできなかった。男嫌いで、なんか嫌だなと思っていたんです。
今にして思えば、女の性を押し付けられるのが嫌だったのね。バイオリン、ピアノ、お茶のお稽古、お花、お習字を習いなさいと言われて、小さい頃はハイハイハイってやっていたのだけど、なんか性に合ってなかった。
周りには可愛くてピアノも弾げてバレエも出来て、蝶よ花よと育てられたお嬢様がいっぱいだったけれど、違和感がありましたね。この人たちと一緒にいたら自分じゃなくなるぞって、自分自身でいることに拘ってました。
ですから、社会に出て仕事を持って、それなりにボーイフレンドができて、恋愛みたいなことをやっていくと、色々な葛藤がありましたね。
自分の個性にこだわる分、どう考えても家庭生活には向かいないような色々問題のある人間を好きになるわけよね。そしてある時ごりやだめだと思って、証母に「結婚したい」と言ったんです。そうしたら「あら、やっとその気になったの」と大企業のお坊ちゃまと次から次へと見合いがやってきたの。
けれど、「悪いけど、私はクリエイテイブな人じゃないと」と言ったらしい。それで来たのが今のダンナね。ステディになって、人生を共に歩んでいこうという人がいないと、自分はたぶんダメになるなと思った時に、家族が応援してくれて感性も合う人と出会えたんです。ラッキーでした。
匡博
私の場合は、家が商人だったので母も働いていて、働いている母の姿をずっと見て育ちました。母は「とにかく女はこれから勉強しないといけないから、努力しないといけない」と言っていました。
私は何も考えていなくて、芸者さんになりたいな、いつもいい着物着ていられるし、なんていう感じだったのよ。
結婚は、まぁ適当な相手と結婚してしまえばいいのかなと思っていました。ただ、結婚はしてもいいししなくてもいいけれど、子どもを産みたいと思っていました。お母さんになりたかったんです。
【仕事か結婚かだった先輩たちが「子供も産みなさい」って言ってくれた。大きな味方でした】
田村 『女の時代』と言われて、女性がどんどん外に出てきましたが、自分が働いていくということに社会が味方してくれたという感じがありますか?
編集者 私の場合は、女らしくしなさいと言われたことはなかったし、女性であることが得だと思ったことはしばしばありますけど、損だと思ったことはなかったですね。大したことでぱないけれど、得だなと思ったのは、取材に行っても大切にしてもらえるし、家族を支えなくてもいいとか、キレイなものが着られるとか。それに、働き始めた出版社が、女性による女性のための女性の職場だったし、有給制度などが取り入れられていました。ですから、みんなで産めば怖くないということで、子供を生み育てながら働くようになりました。一つ―つの権利を自分たちや先輩が作るという時の勢いもあったと思います。
建築家 私がいた建築業界は、今まで男ばかりしかいない世界だったこともあって、先輩の女性たちはすごい犠牲を払って仕事をしていたと思いますよ。
大手ゼネコンは、設計に女性は採らなかった時代。補助しか採らなかったし。女性技術者の会を作って、きちんと採用するようにという運動をした時代でした。私が設計事務所に入った当時は、徹夜徹夜が当たり前の世界で、残業代もなく徹夜をさせるような社会でしたね。
女性の先輩がいましたが、すごく頑張っていて、私が結婚するって言ったら「え、結婚するの!」と驚かれました。そこに来ている女の子は結婚しないと思っていたみたい…。
田村 結婚と両立できるわけがないということかしら?
建築家
でしょうね。みんなすごく頑張ってやっていて、私は「どうしてそんなに頑張らないの?」と言われましたね。私は大学は女子大でしたけど、高校まで
は男女共学でしたので、そこで肩肘張らなくても自己流で行けるのではという感覚を身につけたと思います。
食品業
私は女子大の食物学科を出ているんですけど、食物学科歴代の名簿があって、名簿に職業という襴がある。けれど、私の世代には、ほとんど記入がない。
でも、私たちの10年後くらいから職業を記人する人が増えて、最近はほとんど入っていますね。
私が卒業する時には、女子大全体の就職率が50%を切っていたんですよ。
私も会社に入った時には独身でしたが、その時には既に婚約者がいましたから、入社1年くらいで結婚しました。
そして入社して3年目で出産したのかな。その時に「入社して結婚したのはあなただけだし、出産したのもあなただけね」と言われたの。全てが初めてだったのね。
田村 ご本人はいたって自然なことだったんですよね。『女の記録は、やがて、男を抜くかもしれない』とかいうキャッチコピーをデパートが書いたりしましたね。
編集者 70年代後半から、ウーマンリブ女性をテーマに、よく取材しました。子育てしながらの仕事は、確かに大変だったし、保育園の卒園の時には感動してみんな泣いたわ。その時、「この道は誰かが通って行った道娘に続くなお長い逍」という歌を作ったんです。でも、今ふと後ろを振り返ると、誰も付いて来ない。私たち世代の頑張りすぎの罪でしょうか。
食品業 28歳になるバイヤーがいるんですけど、すごく仕事を頑張っているの。その彼女が「これから先続けようかどうか迷っています」と言うの。部下から「あなたのように出来ません」と言われたらしい。ショックだって。
編集者 頑張りすぎの罪ってありますよ。
本人たちは必死だから大変も何もなくてやってるけど、端から見たら、あんな大変な思いまでしてと思うのでしょうね。
食品業
私の職場に、パイオニアと思う17歳先輩の方がいる。
彼女がいてありがたかったと思うのは、「私たちは仕事を続けていくだけで精一杯だった。でも、あなたたちは結婚しなさい。子どもを産みなさい」と言ってくれたことです。彼女の話を聞くと、仕事を継続していくだけで、結婚なんて全く考えられなかったとおっしゃいます。そうなんだろうなと思いますよ。
編集者
そんな風に、職場にも家庭にも味方が多い人が働く場に残れたのだと思う。
建築家
大上段に振りかぶった人たちは、やっぱり疲れちゃったんじゃないかな。ぶつかって玉砕した人もいると思う。
私の友達にもいますよ。結婚したら夫とフィフティフィフティにきっちりやらないと気が済まないと言って、同じだけお金を出し合って暮らしましょうなんて。でも、それを守ろうとしたためにどんなにつらい思いをしたか!
フィフティフィフティと言っても、そうもいかない時もあるじゃないですか。それをきっちりにしようとすると、本当に疲れると思いますね。
編集者
親から何を学んだかと思うと、フレキシビリティだと思いますよね。この家計が足りなければ、ちょっと頑張って自分でどうにかしようとかね。
こうあらねばならないというのを考えてたら大変ですよね。
建築家
自分の収入がない時は、向こうのものは私のものでいいじゃないね。
【子供は主人が特にほしくはないけれど、いなければならない存在な気がするって言ったの。そうだなと思いました】
田村
子育てというのは時間との戦い。それでも子供は宝なんでしょうね。
医博
私がお母さんになりたいと思ったのは、人間として子どもを育てるということが、自分を完成させるためにとても大事なことじゃないかなと思ったからですね。時間を取られるし、手はかかるけれども、子どもを育てることによってそれ以上のことが得られるじゃないですか。子供は自分でみましたけれど。研究室にも背中に背負って行きましたよ。
食品業 結婚はしたけれど、子どもは謙いだったの。でも亭主が「やっぱり子どもが欲しいな」と言ったり、「こんなのいるんだぞ」と子供服見てたりしてたらできちゃったのよ。授かり物だからと産みました。生まれれば可愛いなと思ったし、亭主がよくやってくれたというか、欲しいと言った責任上、私が海外に行ったりすると亭上が見たし、母も見てくれたし。
保育園のお迎えでもなんでも、亭主が行ったり母も行ってくれたりしていました。だから母は私のことをカッコウと呼ぶんです。
田村 カッコウ?産みっぱなしで他の鳥に育てさせるって?
食品業 娘がすごく良い子に育った。自分で育てなかったのが良かったのかもね。
編集者 私も子どもは好きでもなかったし、どちらかというとあまり好きではなかった。ある時、普通にしていましたから子どもができたわけですよね。
「子どもは欲しい?」と聞くと、主人は「別に欲しくないけれど、いなければならない存在な気がする」と言ったの。
真面目に考えたらそうだなと思って。大したことができない人生でも、何か1つ地球に残せたなど、人として命を継いでいく義務が果たせたようでとても嬉しかったですね。すごくホッとしたんです。 それと、自分が目的志向でわりときちんと思い通りにきていたので、思い通りにならない存在の子供から、人生に思い通りにならないものもあるんだということを勉強しました。
もし子どもがいなかったら、今よりももっと傲慢な人間になっていたんじゃないかなと思うんです。そういう意味でも子供を産んで良かったな、と思いますね。
【子育ては時間との戦いでした。仲間との共闘でした】
田村 子育てと日分のやりたいこと、どのように両立していたんですか?
医博 私は絶対的に子どもが好きなんです。人の子どもでも、とにかく小さい子が好き。だから、子どもを育てる時は、仕事もしなければいけないけど、とにかく子どもが一番でした。
仕事をしなければいけない、勉強もしなければいけない、でも子どもが一番だから背中に背負ってました。
保育園には入れましたよ。私は大学の教育科で教えていたので、教え子は幼稚園の先生になる学生なので、教え子も子どもが好きなんです。
それで教え子にベビーシッターをお願いしました。保育園に4時にお迎えだったのですが、その後は彼女が見るか私が見るかしていました。
編集者 敷居を跨げば男にば七人の敵がいるけど、働く女性には七人の味方がいるの。親、保育園、ベピーシッターさん、職場の上司と仲間、他にも色々。私たちの仕事は、絶対に保育園だけじゃできないから、ベビーシッターさんをどういう風にするか。保育学校に募集を出したり、生徒さんから生徒さんに引き継いでもらったりと、努力して色々と情報を得ましたよ。
一回、保育学校の生徒さんにお願いすると、その子が先輩として下の子を面接してくれて決めてくれるとかね。
一人ベビーシッターの女の子が、うちの子が小学校卒業するまでずっときてくれていたので、姉妹のようですよ。その子はフリーで仕事をしていたので、
面倒をみてくれていたんです。
編集者 保育学校というのは、2年で保母さんになって出て行ってしまうのでね。
田村 お子さんがお2人いらっしゃると大変だったでしょ
編集者 今思い返せば、すごく大変でしたね。 だから後ろを振り向いたら誰もいないのね。真似できない、やりたくないと思わせたのかな。
建築家 私も保育園こ入れていましたから、未だに保育園のお迎え時間に間に合わない夢を見ますよ。
夢の中で、どこかすごく遠いところへ出張で来てしまって、ここからどうやって保育園に行こうかと焦ってるの。同級生4人で設計事務所を作ったので、
それが未だに続いているんです。順番でと言ったらおかしいけど、子どもを産んでね。
子どもが小さいうちは二人一組で仕事をして、何かあっても片方がフォローできるようにしていましたね。
4人がいいと考えたわけでもないけど、4人というのはちょうどよかった。
当時は、オフィスに大きいお腹した人とか、床に赤ん坊が転がってたりしてね。会社勤めではなくて、自分たちが受ける仕事だから、忙しい時には断ればいいんだし・・。子どもが人院した時なんかは、病院でスケッチして誰かに取りに来てもらったりということもやりましたけど。
保育園に迎えに打って、仕事は夜中にやればいいとか、時間の融通は比較的つきやすい仕事です。
田村
保育園くらいだと、お母さんのスケジュールできっちり組めるけど、小学生・中学生・高校生になると、お母さんとしては難しくなってきませんか?
食品業 小学校に入るちょっと前まで、主人は実家の二階を事務所にしていたんですよ。ところがアメリカにいた兄が帰ってきてそこに住むというので、急速自宅の一階を事務所にするということにしました。ですから、娘が小学校に入って「ただいま~」と帰ると亭主が「お帰り~」という関係になった。
【愛は胃を通る。「週末は一週間分のおかず作りで明け暮れました】
田村 子育てする時に、子どもに食べさせるのは全部手づくりでなきゃという気持ちがあった時代だと思いますが。
編集者 一週間分全部作っておきました。とりあえずは冷蔵庫と冷凍庫にいっぱい。
だから、土日は製造工場みたいだった。
翌日は鍋で温めるだけ。べビーシッターさんがきても料理は作ってもらえないから、温めるだけにしておく。それで子供といっしょに食べてもらって。
私も全部自分で作りましたよ。だって、食べたものが子供の体を作っていくわけだから。
とにかくい分の思い通りの子供、自分が理想としている育て方をしたいと思ったら、口に人れるものが何よりも大事でしたから彼女の体は私のものです。でしょう?
編集者 私はそこまで真面目に考えなかったけど、冷蔵できるものとか、くりまわしができるものとか作っていました。
ベビーシッターさんに、「うちのお母さんでも手作りのシュウマイ作りません」とか言われてました。
医博 私の場合は、食事の場合もとても大事だから、一日のスケジュールを食事の時間にあわせていました。
食事の時問には帰りました。帰れたんじゃない、帰るんです。自由業だからできたのね。
講演に行くとかどうにもならないときは、母やベビーシッターさんに見てもらうとかしていましたけど。
絶対的に、食事に間に合う時間に仕事を組むというのが大前提でした。
そういう職業だったので、食事に焦点を合わせることができたんです。
食品業 私はそんな時間には帰れなかった。夕食時間に私がいるときは、私が作る。いないときは亭主が作る。亭主は、自分が作らないときはお手伝いさんに作って
もらう。だめなどきは外食。
近所にね、うなぎ屋さんがあるの。何かというと娘と二人で行っていたらしい。私がいないときの最後の切り札みたいに行っていたのね。ある日、私も一緒に行ったら、お店の人が私を見て驚いていた。父子家庭だと思っていたのよ。お母さんは死んだと思われていた。
建築家 私も建築設計という自由業だから、タ飯にはだいたい帰ってましたよ。だいぶ遅い時間だけれど。今でも土日はお料理ばっかりしてます。最近は1週間分は作らなくなりましたけど、3日分くらいは作る。中学高校はお弁当でしたしね。
医博
娘が私立だと給食がないのでお弁当を作ったし、塾にも行くので塾のお弁当も作らなくちゃいけない。
食品業 私も、小学校から大学までお弁当を作りました。
建築家 食べることが一番大変かもしれません。
医博
掃除はしなくてもす訂けど、ご飯は食べさせないといけないから。
建築家
子供の体を作るというほどの意識はなかったですね。ただお腹がすくし、自分も食べたいから一生懸命でしたね。
編集者 やっぱり母の味を伝えたいと思いました。だから手作りしたものをみんなで食べる。おやつを作るとか、とにかく、食べることには必死でしたね。それだけが母親の存在を示す砦みたいなものだった。
医博 胃袋をおさえておけば大丈夫、と思ってましたよ、そういうことです。
建築家
私は今でも遅くなっても帰ってから食べる。9時でも10時でも。
編集者 ある女優さんを取材したときに、そう言ってましたよ。お母さんは忙しくて家にいられないんだけど、冷蔵庫の中においしいものをいっばい詰めておくんですって。
子供がグレなかったのは、この冷巌庫のおかげですって。だから、胃袋さえおさえておけば大丈夫。胃袋をおさえるということは、母親が一生懸命努力しないといけないことだから。
冷蔵庫を作った料理でいつばいにしておくしかなかったみたい。
食品業 私はね、朝なんですよ。朝は3人揃っていっぱい食べて。 お昼はお弁当を持たせる。で、ゴメン、そこまで。
夜は亭主が作ったり、お手伝いさんが作ったり外食も多かったんだと思う。
いま、うち娘は外食が好きじゃない。何かあったら「お母さんの料理が食べたい」と言ってくれる。大した料理作らないのよ。でも、おいしいといってくれるのが嬉しいですよね。
医博 フランスでも男性のハートを射止めるときは、まず胃袋を射止めよというのね。
【教育は親からの贈りもの。張り切りました。選びました】
田村 娘を育てるときに、教育についてはどう考えたのですか。
食品業 絶対に共学。自分が女子校だったから。なんかへんになっちゃったのは女子校のせいだ、と思っからね。
それと、私がずっと私立だったので、かなり早い時期に私立に入れることを決めて、お受験。3オくらいから準備を始めましたね。
無事に娘はそのままその学校に入って、自由な教育受けました。けれどこお母さん、やりたいことがあるといってきて、別の中学受験しちゃった。お母さんは傍観者という感じ。でも娘はキラキラ輝いていましたね。
編集者 娘が2人いるんですが、上の子のときは大わらわ。親は未熟だし、育てそこなっちゃった。育てるタイミング、親が介入するタイミングが難しかったなと思いますね。放っておいてもいいという時、放っといてはいけない時期というものがあって、舵取りしなければいけない。下の子のときは、それの反省とか勉強を生かして、親が介入すぺきタイミングみたいなときに、一生懸命介入した。どちらの子も発展途上ですから、よかったとか悪かったとかわかりませんけど、娘には、自分の好きなことを見つけて生き生きと楽しい人生を歩んでほしい。
田村 どういう娘にしたいと育てたのですか
編集者
おこがましいことは考えなかった。自分が好きなことを見つけて、自分が楽しい人生を歩んでくれればいい。ただ、自分の人生は日分の足で歩んでほしいです。結局、親がこういう風に思っても、自分が納得しないとそうはいかないし。
部下だってそうじゃないですか。こうしなさいといっても、自分が自分で会得したんだと思わないと。
子供も、自分が選んだ道だと信じて生きているから。そうじゃないと動かないんだなと思う。
建築家 私も、あまり深くは考えませんでしたね。とりあえず、エサをやろうと。
反面教師だったかもしれないけど、上の子は仕事についた時に「私は年金をもらえるおばあさんになるんだ」って言ったんですよ。大企業に人って年金をもらう、というね。それが、結婚する時に、「仕事やめたわ」って。う~ん。 下の子はいまだに迷っている。一応、カメラマンになりたいということで、うちにいてバイトに行ってお金稼いで。2、3個のグループのライブの写真を撮りに行ったりしてますけど。
どうするのかしら。どうにか自分で食べられるようになってほしいなと思ってるんですけど。このままずっといられるのも困るな。
家を出ていきなさいとは言えない。今、言っていいのかなあと迷う。30歳までに独立しろって言おうとずっと思っているんですけどね。やっぱりタイミングね。方向性というか、ちゃんと自覚を持たせる年齢をとっくに過ぎたのに。
まあ私が、好きにしていいよと言ってきたんでしょうね。 どうも自覚が足りないよね、母親としては。
医博 私は、一番は自分がやっている仕事が生きがいを感じてとても楽しいので、娘にもそういう生き方をしてほしかった。
自分がやりたいことを見つけて、いい人生、幸せな人生を歩んでほしいと思ったのが一番。
でも、娘に言わせると、お母さんの思い通りのレールの上を歩かされたって。
お母さんは私を実験台にしたと娘にいわれると、そういう見方もあるかなと。
強制するのば嫌なので、強制はしてないんですけど、人生の経験が違うじゃないないですか。私は長い経験、娘は短い経験。だから、彼女に提示をする。選ばせてきたつもりなのよね。
田村 父親の影響ってどこで登場するんでしょうか。
建築家 父親は影が薄い
食品業 うちは完全に父親が娘を育てているから。私はA型で、父親はB型。娘もB型。
編集者
うちは私の方が男っぽい。夫の方が細かくいろいろしましたから、お父さんとお母さんが逆。口やかましいお父さん、大雑把なおかあさんみたいに。
遺伝子ってすごく感じますよね。
全然似てないのに、あるとき突然、自分が同じものにはまったときに、同じことをしだしている娘とか。
私は短歌が趣味なものですから歌で言うと、「子育ては四六の蝦蟇の汗に似て鏡のごとき娘がここに」。
たらーり、たらーりとあぶら汗が出てくるみたい。子供って嫌なところが全部似てくるんですよね。
【総じて、団塊の世代は子育て上手とはいい難い。悩んでいる人は多い】
田村 娘を育てるうちに、うまくいったことと、これは失敗、伝わらなかった、ということはありますか。
編集者 やっぱり待っことでしょうね。
待って、自分で結論が出せるまで、いろんなフォローをさりげなくしながら本人に選択させるゆとり。それが下の子のときにはできたと思う。でも上の子の時には、ゆとりがなかったなと思う。まだ二人とも発展途上ですから、失敗なんていったらかわいそうだけれど、親としてそのへんは末熟だったなど思いま
すね。
建築家 お母さんは自分のことだけ考えていると娘達に言われています。
自分でも自分が一番大事という暮らし方をしていると思う。仕事が一番というより、自分が一番。
自分としてはそうでもない所もあるんだけどね。でも、子供はそう思っていると思いますね。
編集者 総じて団塊の世代の人って、あんまり子育てが上手じゃない気がする。悩んでいる人って多いしね。自分自身に一生懸命だったり、自分にかまけるのに必死だったり、というのがあるのかもしれないなあと思う。ツケが回ってくるのかなあ。周りみていても、いろいろと大変みたい。
建築家 子供が自立しないのは、面倒を見すぎなのか、見なさすぎなのか、どっちなんだろう
編集者 どっちもなんでしょうね。親に経済力がある時代だから、子供を支えていられる。
自分も経済成長とともに好きなことをやってきた世代だから、子供にも好きにやらせる。そこが厳しさの足りない世代といわれる所以じゃないですか?
医博 子供が小さい時にお買い物に行って、買い物したものだけ持って、子供を忘れて帰ってきちゃったことがある。
だから自分で考えておかないと大変だって、娘は言うしなんでそんな先のことまで考えるの?というくらい、先の先の先までうちの娘は設計しています。子供は自分でしっかりしなくちゃと思ったのかしらね
田村 母と娘が一卵性親子、友達親子といわれることについては、どうですか。
建築家 友達親子って、周りに多いのは多いよね。確かに。うちは違うけど。そういうのもあるかしらって思って、下の子が高校3年で卒業するときに、.二人で海外旅行に行ってみたんですけどね。だめでしたね。行きたい所が違うもの。
利は貧乏性というか朝早く起きて、あそこの市場に行きましょう!と張り切っても、娘は「え?行ってきたら?」。親子だから遠慮しない。行きたい所が違
う。行きたくないといかない。私はけっこう、向こうが行きたいところにつきあってあげたんですけど。
上の娘は調子いいというか、訪ねると案内してくれる。年齢的にも大人になりましたから。やさしく扱ってくれます。
こっちがちょっと年取ったというか、敵対する相手じゃなくなって、自分の方が面倒をみてあげようと思い出したみたい。
医博 私は、娘はお父さんとくつついて、私を放っておいてもらいたい気がする。
編集者 「薄情な母なるゆえにすがるらん つなぐ両手に力こめる娘ら」
娘は、私が振り払うからよけいにすがりつく風です。いまでも一緒に旅をしたがったり。
医博 とにかく、自立してもらいたいとずっと思っていました。自分で自分のことを考えてもらいたいと思っていた。そのせいか、娘は頑張りすぎる。そんなにやらなくてもと思うほど。
編集者 娘たちには自立してほしいと言い続けましたね。言うからだめなのかな。でも、この頃は逆に、ママのことをすごく尊敬しているみたいなことを言われる。
私ごときが尊敬されるなんて、越える壁としては低いなと問題もあるけれど、好きなことをやる人生が楽しいな、ということが伝わってくれているのかな…と内心嬉しい。
建築家 うちは、母と娘の確執は何もなし。そのへんは父親が何かやっていたみたい。私が勝手だった分、父親がフォローしていたんじゃないかな。でも、好きにはさせてもらったと思っていると思いますけど押し付けることは何もなかったし、まあ、ちゃんと健康に生きていればいいよという感じできました。
編集者 自由という名の放任、放牧してたのかなという思いが、今になるとありますよ。
建築家 周りに親からすごく期待されて苦しんでいる友達もいるわけだから、それに比べればいいかな。そんなにいい学校に行ったりしなくていいと。未熟な段階でも、あなたの好きなように、あなたが選びなさいというようにやっていた。それはそれでけっこう辛かったかもしれないですよね。
まあ、健康で育っているし、別に悪いこともしてない、グレてもいないし。何とか暮らしているわ、という感じで過ごしてきたんですけどね。
編集者 一生懸命やってきたけど、いまみたいな話を聞くとギクッとしますよね。
食品業 私は自分に自信がない全然ないから、こうあるべきとは言えない。
私が言わない分、亭主が相当言っていたんだと思うんですよ。大学を選ぶときとか、仕事を選ぶときも。私はあまりいい母親じゃなかったわね。
編集者 誰かがフォローしてあげなければいけないのね、そういう時。自分の一生を考えても、自分でやってきたように思うけど、親が上手にコントロールしてくれていたのよね。
医博 うちも夫がフォローしていたと思いますよ。私は「あなたが考えて好きなようにしなさい」でおしまい。そこでお父さんがフォローする。
けれど私は主人とは考え方が達うし、両方が違うことをいったら子供は混乱するでしょ。根本的には、お父さんとお母さんが同じ方向を向いていてないとまずい。
食品業 娘をはさんで意見の食い違いがあったときは、娘がいないときに2人で話をする、ということはやりましたね。
彼と違う結論を私が持っていると、夫は「よけいなことをいうなよ」と言う。僕はこういうことでこう思ってやっているんだからそこで娘にいったら迷うじゃないかと言われてました。そういうことはよくありましたね。
「母には、弱い自分は見せられない。病気になれない、入院する時は出張中とでも言わなくちゃ!」
田村 娘との形勢逆転は起こりそうですか。 ご自身はいかがだったのですか?
編集者 世代なんですよね。
食品業 まだ立場は逆転してない。とにかく強い人なの。80代なんですけど。いまだに子供だと思っているから。いまちょっと心臓を悪くして、入院させたりしたものだから、ちょっと謙虚になってきたけれど、ついこないだまで「あら、この口紅の色は何?安っぽいものを使っているわね」って・・。いちいち、まだご指導が入りますね。もう私は50歳をすぎているのにと思うけど、母にしてみると指導の対象。
編集者 うちの母も体力的に少し落ちましたけどまだまだ強い。ちょうど戦争中の世代じゃないですか。だから、自分の生き方があるし、家族の中の権力者でした。
食品業 いま、母は料理が作れない状態だから、私が朝ご飯を作って持っていくのですが、ひとつひとつ「ポテトサラダというのはね」と延々と講釈されちゃう。
電話で、耳が遠いから何回も大きい声でいっていると、だんだん大きい声でいっていると日調が厳しくなるじゃないですか。
それを娘が聞いていて「どうして優しくできないの?」って言われるわけ。「私ね、お母さんが80歳すぎたら、めっちゃ優しくするよ」って。涙出ちゃった。「すみません」て。最近はやたら娘に謝っていますね。
建築家 逝かれてしまうと、あのとき優しくいってあげればよかったな、と場面場面で思い出しちゃう。優しくしているほうが後で自分が楽かも。
食品業 ほんとに難しいですよね。ずっとこうやって、母が死ぬまで私は母と葛藤していくんだろうなと思う。
建築家 娘との間もそうだけど、優しいことが言えないというかU。人間関係でこういう言葉遣いにするという長年のルールができちゃったじゃないですか。だから、お母さまはいまさら優しい言葉をかけたら、自分の弱いところを見せたら、この子が…とか思うのかも。
母娘でメールは効果的らしいですね。ちよっと離れている親子関係とか、親しさを増すらしい。
食品業
母にメールを教えたの。耳が遠いのでやりとりしているうちに声が大きくなったりするから。メールだ!と思いました。
建築家 手紙だと大げさな気がするしね。
医博 うちの母も83歳ですけど、母親に期待されることがちょっと重くなってきました。やっぱり母親は期待しますよね、永遠に期待するんじゃないですか。
私も、体力的にもペースダウンして、ちょっとゆっくりしたいなと思うけれど、母の言葉は、もっと頑張りなさいと言っているように聞こえる。
編集者 この間、国が入院して、その時に「あなたが健康でいてくれるから助かるわ」って言われて・・。 本当は私は体調がよくなかったし、検査で不安要素があるんだけど、親の前では弱みを見せられないじゃないですか。
医博
だから、私は自分が病気になっても、娘には言えるけど、母に言いづらい。
編集者 人知れず、手術をするとしてもさっさとやっちゃってと思っている。電話がかかってきたらどうすればいいの?と娘に聞かれて、手術するときは長期出張とでも言えばいいじゃないって。
医博
悲しいですもの。子どもは親より先に死んじゃいけない。
食品業 生活をつましくして、仕事をやめて家庭に入りなさいということを、いまだに言いますよ。
編集者 うちの母は、大学を出て仕事をしたかったのにしなくて。だから私が仕事をすることを「よかったね」。というんですよ。だけど夫のお給料だけで食べていけるのにつて、私が働くことにはどうもね。
田村 ご自分とお子さんとの関係はどうですか?
建築家 自分の娘に関して言えば、相手を子供じゃなくて大人として扱う時期の見極めが必要でしょうね。相手が一人の独立した社会人としてやっているとなると、対等な立場にならなければいけない。そうすると、親としての言葉遣いではなくつて、対等な言葉遣いをしようとしますね。
下の子はまだ経済的に独立していないから、まだ親としての物言いをしてしまうけれども。
食品業 私は彼女の先生ではなし、いい生き方も示してないし、娘はとっくに私を超えている。刻苦勉励するということも、私には全然ない。娘は受験に顔を輝かせたということがあるしね。
医博 娘と立場が逆転するということはないですね。経済的に、とても彼女は私に負担をかけているから。
田村 これから女性って、どんな風になっていくのでしょうか。
編集者 今の若い人たちは努力するのが好きじゃないのよね。私達は、努力が好きじゃないですか。若い人たちは、努力が好きじゃないから、困ったなと思いますよね。
建築家 でも、なんとかしないと。男性も昔ほど優しくないというか、女性をなんとかしてあげようと思わなくなっているから。
編集者 やせ我慢して、女性を守ろうなんて思わなくなっていますね。
建築家 大変ですよ。もう少しやせ我慢してくれるといいんだけど。
医博 結婚式によばれると、妊娠している場合多いですね。妊娠しない限り、男の人が結婚しようといわないという話もよく聞きますね。
編集者 女の子の育て方を心配するより男の子の育て方を議論したほうがいいわよ。
「仕事に夢中、子どもに熱中。振り返ると全部自分のためだった」
建築家 保育園にあずけて可愛そうに、と散々言われましたよ。
編集者 保育園の卒業式はみんな泣くじゃないですか。よくここまできたって泣く。
建築家 保育園、懐かしいね。
建築家 毎朝、車の後ろに二人をのせてガーって行きましたよ。
編集者 白いスーツを着て、ねんねこのおぶいヒモでばってんにして保育園まで走って、やっと間に合って預けてね。おしゃれな職場なのにね。先輩のお母さんがいろいろアドハイスしてくれて。お母さん同士の共闘ですよね。
建築家 私は、子育てと両立それができなかったから、それまでの会社を辞めました。で、仕事を続けるために女性の仲間で会社を作ったんです。
それに、親の手は借りない、と意地をはった時代風潮でした。
編集者 私もそう。
建築家 なんで頑張っちゃったんだろう。いまから考えると、親に声をかけて「頼むわね」といったほうが親にやさしかったんじゃないか。あの頃はできなかった。
編集者 でも一人の人間が好きなことをやるために、他の人生を犠牲にしてはいけないと思ったんですよ。だから母の自由を奪ってはいけないと。私が好きなことをやるために、母がせっかくこれから人生を楽しみたいのに、それをじゃますることはできない。
建築家 夫にとってもそうでした。私がこれをやりたいために、夫がこうやりたいと思う人生を犠牲にしちゃいけないなと。
編集者 私はそれはない。子供は夫と二人で作ったのだから。夫とも共闘してもらった。親は立場が違う。
建築家 25から30歳で親と暮らしている人は60%いるの。子供に自立して欲しいといいながら、実は自立してほしくないのよ。私達の世代って、離婚しても実家にはもどらなかったですものね。
編集者 父が「返品お断り」って言った。
建築家 あら、うちは「帰っておいで」っていわれた気がしますね。
食品業 うちも「我慢することないから帰っておいで」って。無理してひとりでいることはないって。
医博 でも、どうしていまは子供を生まないのかしら。
建築家 上の子が結婚して3年になるけど子どもがいないのね。私聞いてみようかなあと思ったけど。作らないつもりなのか、できないのか。 聞こうかなあど思うこともあるげど、これはちょっとプライバシーに踏み込むかなと思うから聞けない。
編集者 産むとか産まないとか選択して産むものじゃないわよね。
医博 うちの子26歳になったら了供を産むつもりで計算している。
編集者 私も目的志向型だから、2l4歳で婚約して26歳で結婚というのはちゃんと日標設定してその通りにしました。子供はその通りには産まれないけど。
医博
私は子供をずっと待っていたので。3年くらい。
食品業 子供を作った瞬間に、未来に対して責任を追わなければいけないなと思いますね。
医博 それは思いますね。地球環境とか食糧問題をどうにかしなきゃとか。
食品業 それまでは、自分が死んじゃえばいいやと思っていたけど。
彼女が私くらいの年代になったときに、地球の食糧はどうなっているのか、環境はどうなっているのかとか考えるわね。
目をつぶっていられない。明らかに悪くなることが分かっていると、産んじゃってごめん、となる。
編集者 真剣に考えちゃうと、こういう世の中に産んでいいのかと考えますよね。
でも、結婚したときに夫が「お前は欲しくないかもしれないけど、子供はいなきゃいけないもののようた気がする」と言ったの。あ、この人は尊敬できると思いましたよ。
田村 ところで、娘はご自分に似ていると思います?
編集者 嫌なところばっかり似ている。
建築家
しゃべり方がすごく似ている。うちの夫でも電話だと分からない。
食品業 うちは似てないと思っていたのよ。ところがみなさんに「まあ、そっくり」と言われてショックだったみたいよ。
編集者 嫌がりますよね。私も母に似ていると言われると嫌だったから。
医博 うちの娘はあんまり似てないですね。小さいとき、私が忙しかったので夫が娘を病院に連れて行っていたんですよ。
ある時、私が娘をだっこして病院に連れて行ったら、「今日誰といたの?」と言われてショックでしたね。
編集者 全然違う人が見ると、似ているみたいね。雰囲気が似ているのかしら。
夫に「嫌なところばかり似ているl といったら「僕たち、いいところがそんなにないんだよ」って。
建築家 生まれたばっかりの時、私の子供だという感覚がなかったもの。なんか不思議な物体だなあって。私の子なんだろうか?と思いましたよ。
自分の子供なんだけど距離感がありましたよね。しばらく眺めていましたね。
建築家 やっぱり、育てることで子供になっていくのね。
医博 うちは外見はお父さんそっくり、体つきからお父さんそっくり。内面はお母さんそっくり。
田村 母親に似てきたと思います?
建築家 似てきたと思いますね。兄弟の中でも、私が一番母親に似てきた。母に似るのは嫌ですね。あまり美人じゃなかったから。
編集者 うちも父の方がハンサムだったので、父に似ればよかったけど。母に似ているの。
医博 お母さんに似るのは嫌ですか?私は母に似たいです。
食品業 母に似たいという親子関係はすばらしいですね。
田村 今日は、本当にありがとうございました。
ああ凄かった!4時間も話しました。