50カラット会議

29号 50歳からの新天地

2002年11月 発行所 「50カラット会議」

50カラット会議レポート 

29号

50歳からの新天地

 

なってみなければ分からないとは、よく言ったものね。40代までは「年をとる」ということにさえ無関心だったし、50代でこんな風に自分を意識するなんて、思いもかけなかった!と、それぞれの新天地が語られました。何もかも未知数、可能性に満ちている気がして、挑戦的な日々を送ってきたという人、「自分が何者なのかが分かってきました」と、その自分を大切にする暮らしをスタートさせています。
大勢の主婦の方々からいただいた近況アンケートにも、「始めます! 始めました!」と、言葉が踊るように溢れています。かと思えば、老後や死というものにも現実感を覚えていると、その対策を語ってくださる方もいらっしゃいました。これから30年と予測される「これから」にむけて、これまでの50年の経験を生かそうとする人、書き換えようとする人、様々です。

蛇の道はヘビに聞くシリーズ㉖

ご参加いただいたのは、「赤い糸が、もう1本ありました」とこの度ご結婚の阿比留みど里さん、「最期は鳥の声が聞こえる場所でと、八ヶ岳に家を用意した」という今淵恵子さん、「今は画家に専念」の宮迫千鶴さん、「50代で料理家として全開!」の村上祥子さん、「華やかな50代の先に待っているものが関心事」というノンフィクション作家吉永みち子さんです。

 

目次

1.50歳は転換点。
自分自身をどうするかが、問われていると思う。
2.50代の送り方。
一番大切にしたい時間をそだてて、老後につなぎたい。
3.新天地への飛翔には、リスクもある。
自立への環境づくり、人生のたたみ方は、自分で決める。
4.暮らしの環境も、見直しています。
都会に住みますか?自然の中に身を置きますか?
5.輝く50代は、健康から。
体の声に耳傾けて、食べる、鍛えるのが50代流。

 

1.50歳は転換点。自分自身をどうするかが、問われていると思う。

40代は、獲物を狙うハンターのようだった。自分にも他人にも厳しく、がむしゃらだった。けれど、今は、達成感より、そうしていられる時間がうれしい。そんな時間を慈しみたい。

〇体力は低下するからやりたいことだけに集中したい。徹夜は無理、駅の階段は走れない、老眼もきた。けれど、情熱はあります。好きなことに邁進中。

〇それぞれの個性技量を楽しむつもりで、仕事やお付合いをします。人を変えようと火の玉みたいになることはなくなった。人に期待しなくなった分、心は穏やかでいられます。

〇お母さん役は終わり。自分に構うこと最優先の生活になりました。夫にも、自立した時間を過ごして欲しいと思う。家族はいざという時に支え合えばいい。

40代までは、「いまを生きる」日々だった。50代は、「これからの30年」を意識して生きるとき。

人間50年も生きていると、それはそれは個性的になります。万能型だった人も、中でもこれが一番大事ということに集中し始めますし、誰にもニコニコしていたのに、最近人の輪が限定的になってきた人もいます。「40代まではね、仕事につながるかもって、気乗りしない人ともお食事したりってこともありました。今はそれもおしまい」と決めたのです。これからの30年は、それぞれの個性の中から、人生を豊かにしたり、気持ちのいい時間をつくる相方に巡り会いたいと願っています。 徹夜はきかなくなったし、老眼にもなったけれど、思考力はまたまだ増強中。 50代は、そう遠くはない老後や死にも目を向けて、自分の体と頭で決められることは決めておきたいと、自分の暮らしを仕切り直し始めました。
自分が見えた分、その自分を慈しみつつていねいに生きたいという気持ちが強くなって、30年の計を立て始めたそうです。「後顧の憂いなく死ねるように」という言葉を発した方もありました。「人生の後半もなかなかだった!」と思い返せる30年をつくる新天地が始まったようです。

50代になって、丸くなった?

□ 「まぁ、いいか」
画家の宮迫千鶴さんは、「最近、自分に言い聞かせているのね。まぁ、いいかって。これって、50代になってからの納得の仕方です」とおっしゃいます。40代は、自分にも人にも厳しくて、好き嫌いも激しかったけれど、最近、「許せない」という感覚が段々薄らいできたようだというのです。 「丸くなったというか、ほうけたというか。40代って、どうしてああもがむしゃらに追っていたんだろうって思いますよ。知りたいことがたくさんあって、それに向かって走るという、ハンター的な暮らしでしたね。いま、やる気や情熱が失せたわけではないけれど、向けるところが変わったんですね」。
宮迫さんは、社会派評論家としての生活を続けてきましたが、最近では「画家」としての暮らしに専念し始めました。

□ 人それぞれの能力を受け入れられるようになりました。
「以前だったら、一度言ったのに、また出来ないなんて…と思ったことも、ここまでやれる人なんだって思えるようになりました」と、心が柔らかになったのに気づく方もありました。「そうそう、前は、もっとこうして欲しいとか、この位は出来るはずなのにと思うことがあったけれど、あるがままを受け入れるようになった。ニコニコになったわよ」と相槌を打つ阿比留みど里さんです。「ひっくりかえせば、冷たくなったのかな。期待しなくなったのだもの」とのこと。 日々、可能性に挑戦という意気込みだった40代には、想像もつかない変化です。

□ 人も見えてきたけれど、自分が何者かも認識しました。
ノンフィクション作家の吉永みち子さんは、「自分って、なかなか分からないんだよね。人のことは、よく分かる。インタビューなんかしていても、そうですよねなんて言ってるもの。友だちと話していても、よく分かるわねなんて言われるし。でも、自分のことって、分かっていなかったと思う。それが、最近、徐々に見えてきた。自分が何を本当に望んでいるのかが見えてきたのね。これから、もっと見えてくるんだろうな。やっぱり、50年余も生きていれば、自分を見極める能力も、徐々に身に付いてくる」とおっしゃいます。例えば、吉永さんは、50歳を目前にして、夫と別れ、子供も独立して、一人暮らしを選びました。自分には、1人での生活が合っているという判断からです。阿比留さんが「赤い糸が、もう1本ありました」と結婚した話に、吉永さんは「私は、だめ。もう1回結婚しても、同じようになっちゃうってことが、よーく分かる。50代になって、自分が分かってきたからね」と応じました。
自分が何者なのかが見えると、ああも生きられそうという迷いからもスッと抜けます。人と比べて、慌てたり落ち込むこともなくなり、マイウエイに歩を進める快感を知るというのも、50代ならではのようです。

2.50代の送り方。 一番大切にしたい時間を育てて、老後につなげたい。

次に何の花を咲かせようかと挑戦することはない。積み重ねた暮らしと人間関係から、自然に策花を楽しみたい。           自分は自分、ペースも人それぞれ。

本来の自分に戻ってやりたいことをする
画家の心を楽しみたい・家族から独立して仕事三昧に生きたい・飲み屋の女将になって、気持ちいい触れ合いの場をつくりたい・車で放浪したい

人とのつながりを見直したい。
寄りかかるより、お互いを楽しみ合う家族関係・組織や社会への責任感より、幸せ感に基づいて自分の才能、技術、知識の提供者になりたい。

人生の終わり方は決めておきたい。
便利な都会?自然の中?終の棲家を決めておく。尊厳死の選択、延命治療拒否の証は持ち歩く。 粛々と、自然に死にたい

あたためてきた夢へ

「やっと、落ち着いて仕事が出来るようになった」「何足ものわらじをはいていた生活から、一番心穏やかでいられる仕事のみに絞りました」「いつ今の仕事が出来なくなるかも知れないから、その時は友人たちと…・」と、胸に秘めてきた生活へ、一歩を踏み出した人たちがいます。
40代までの野心は消えて、生きる基本姿勢は、自分の才能や知識、技術を楽しんで続けたいという願いです。そのことが、人の役に立ったり、地球環境の保護につながれば、なお嬉しいという気持ちもあります。本を読むのも、仕事のためというより、楽しみのためだったり、暇つぶしという、気楽さと自由さに心が動きます。結婚でさえ、新家庭を築く若い年代とは違い、自分たちの食事時間を楽しくするためでいいのです。楽しいニュースがあったとき、笑いあえる相手を求めるだけで十分なのです。50代からの新天地には、こうであらねばいけないという決まりがありません。
本人がいいと言っていることが、一番大切な「新天地」です。

 それぞれの出発。

□ 「やっと画家になれました」
宮迫千鶴さんは、ご存じ社会派評論家として、長い間ご活躍でした。もちろん、画家でもいらしたのですが、いよいよ画家に専念する生活に入りました。
「もう一度、アーチストに戻ろうって思ったんです。本当に基本的なところから絵を描き直したいって、絵描きに戻りました。だけど、戻ると言っても、そう簡単に昨日から今日という風にはいかなくて、リハビリやりました。時間はかかりました。つまり、社会的なものの見方を切って、それまでの評論家としての自分を捨てる訓練期間がありました。絵描きというのは、あまりものを見てはいけない。社会的では成り立たないのです。満月がキレイとか、雑草の緑に感動するとか、そんなことを体にいっぱいにすることが必要なの。そして、あるとき、体の中からポッと出てくるのが理想なんです」。

□「私、50代から空飛ぶ料理家になりました」
福岡と東京間の飛行機に、年間120回乗っているのは、料理研究家の村上祥子さんです。「40代の半ばから50代にかけては、家族に尽くす生活でした。それまでも、料理教室を開いてはおりましたが、年寄りがいて、女手の足りない家庭を抱えていたので、その両立が課題の生活でした。けれど、親たちを送り、以来、私は、仕事三昧です。仕事に全生活を注ぐ、全部が私の時間という生活に、今、夢中です。人生、こんなに面白かったのか!という感じ。体も頭も、24時間フル稼働なのに、ちっとも疲れないんです。東京にスタジオを構えて、今年で6年め。やっぱり情報を発信するには、東京に拠点をつくらねばと思ったからです。というわけで、毎週、東京と福岡を行ったり来たり。空飛ぶ料理家なんて呼ばれるようになりました」と、笑います。

□ 「最近は、あまり予定ギッシリだと胸が詰まっちゃう」
ノンフィクション作家の吉永みち子さんは、追われる生活、頑張る生活から、暇つぶしの悦楽に目を向けています。「これから新しく花を咲かそうと思ったら、また頑張らなくちゃいけない。もう、頑張ってばかりもいられないよね。若い時は、あそこで花咲かそうとか、ここで咲いてみるかなんて、自分を拡大することに力を注いだけれど、今は、そんな風に思わなくなった。咲けば咲いたでいいし、咲かなきゃ、それでいい。時間の使い方もそう。これまでは、暇じゃ大変!っていう気持ちが強かった。それが、暇つぶしの心地よさに目覚めちゃった。本だって、子供の頃の暇つぶしに読んでたあの読み方がいいって思う。人とのコンタクトも、会わなくちゃというより、ふらっと立ち寄ると、そこに人がいて…という場所がいいかなと思ったりする。
人間何があるか分からない。書けなくなるかも知れないし、体力的に無理が来るかも知れないでしょ。そしたら、人がふらっと通りすぎるような飲み屋やりたいな」。その話に、一同、「そしたら、行く!」と、嬉しそうでした。
実現に向けて、知恵とお金を出し合いましょうか?

 

3.新天地への飛翔にはリスクもある。  自立への環境づくり、人生のたたみ方は、自分で決める。

家族との結合もゆるやかにして、自分自身に全力投球したい50代の生活にはリスクもある。
「華やかな50代の先にあるもの」にも目を向けて決めなければならない覚悟もある。

〇自立生活への覚悟
① 「ひとりぼっちの最期でもいい」
② 「子供に期待はしない。一緒にご飯を楽しむ相手は、友人だったり、新夫だったり」
③ お金はそこそこあればいい。

〇人生のたたみ方
① 病気、死には、自然に粛々とをめざす。
② 終の棲家、死に場所は、1人で死んで発見されても、「らしい」「キレイ」を目指したい。
③ 死後の始末も指示しておきます。

50代の過ごし方が老後を決める。

家族や社会での今までの役割から離れて、自分自身に全力投球する生活は、誰のためでもない自由さと引き換えに、自分のことは自分で始末する覚悟も
必要になっています。50代からの人生には、「たとえ一人になっても」といった悲壮な出発はないのですが、それでも、一人好きなことをして暮らしている時に倒れるという場面位は想像しています。「眠る前には、部屋を片づけます。だって、発見されたとき、こんな散らかった部屋で暮らしてたのかなんて思われたくない」のです。それに、病気になっても、まわりをあたふたさせたくない気持ちもあります。この気持ちは、あたふたしてきた立場の人だから強いのかも知れません。
「ともかく、延命治療はお断り。たとえ命が縮まったとしても、盛大に痛みをとる治療を頼んでおきます。尊厳死協会にも登録して一安心」とのことでした。子供に尽くした親たちとは違う道を行きたいと願う人たちは、それはそれで起きる日常に、「最悪」を予測しています。そして、そうならなければ、ラッキー!と、マイウエイを行くつもりです。

いまの幸せなくて、将来はないでしょ?

□ 「結婚します!」
「私、人が喜ぶ様子を見るのが好きなの。嬉しそうにしている家族がいて、顔が合ったらニコッって笑いかける、そんな状態が好き。だから、結婚します」と、最近結婚した阿比留みど里さんです。 「世話する、しないではなくて、一生懸命暮らしている者同士が、一息つくとそこに笑いかける人がいる。今日もいいなぁって暮らすんです。そりゃあ、お互い違う歴史を重ねてきた人間ですから、お互いに慣れるのは大変なこともあるでしょうね。でも、なんとかなるものよ。あまり気にしません。だってね、目がハートになって、バラの花が飛び交う年じゃないわけだから。相手の目がハートになっているだけで、私は嬉しい。 今更!という考えもあるけれど、私たちは、お互いに幸せな結婚をしていて、連れ合いを亡くした同士だから、もう一度幸せな結婚したいって思っています」と、大人の結婚宣言です。

□ 「家族、みんな自立しました」
「離婚しても、家族は家族だから、縁が切れたとは思っていない」とおっしゃるのは、吉永みち子さんです。「ゆるやかな結合を選択したと言っているんです。戸籍上一緒の人でも、縁が切れている夫婦っているでしょ。私のは、その反対。今は、娘も独立して、犬との生活。天国ですよ。家族の生活がうまくいくように、段どりばかりしていた日々との決別ですもの。 でも、まわりは、一人になって淋しいでしょなんて言う。何故か、女が一人になると淋しいと思うらしいんだよね。 私は、これでいいと思う。死んで、何日も発見されなかったらどうするのなんて言う人がいるけれど、別にどうするったって、死んでいるのだから、どうしようもないって感じでしょ。あんまり言われるので、最悪を想定して、準備万端よ。延命治療拒否、 尊厳死協会にも登録済みです」。
もちろん、50代は、生活の個人差がどんどん広がるとき。 子供が独立したら、今度は親の介護という場面を迎えて、自分どころではない方も多いのです。 吉永さんも、「私の場合は、両親も亡くなっているので…」とのことでした。

□ 「うちは、初めからパートナー暮らし」
「半分、シングルの気楽さで暮らしてきました」と覚悟要らずなのは、宮迫千鶴さんです。 「ですから、40代までは、ひとりであちこち旅行していました。行ってきますの一言で済んでいました。そのまま、ずっとお互いに老けてきたので、世話しなくちゃという関係はないんです。そういう風に、夫を鍛えてきたのかな」とニッコリです。 団塊の世代といえば、「友だち夫婦」が流行した時代の結婚です。 そうした人たちの「今」、皆さん、宮迫ご夫妻のようでしょうか?

4.暮らしの環境も、見直しています。 都会に住みますか? 自然の中に身をおきますか?

どちらにする?

①いつかは自然の中へと願う人は、実行のとき。伊東へ、熱海へ、八ヶ岳へ移住計画を開始する。

②文化、友だち、仕事を求めると、都会生活は捨てられない。一人暮らしなら、24時間体制の便利が一番。

➡実際には、50代での隠遁は早すぎる。余程の人でなければ、田舎生活では稼げない。都会で働き、週末生活で田舎に慣れていく暮らしを始めている。家族を残し、都会との二重生活も。

➡老後は都会へ戻る?別荘地暮らしの人も、伴侶を亡くすと、都会に帰る傾向らしい。

自然を楽しみたい人たちのリゾートライフが始まった。

自然に親しみたい都会人たちの移動には、田舎暮らしへの移住というより、リゾートライフの拠点を求めている風情がただよっています。 「鳥が大好きだから、鳥の声が聞こえる八ヶ岳に家を建てました」とおっしゃるコピーライターの今淵恵子さんは、「野草を摘んで食べることもできるんです。これで、鳥の声の中で死ねます」と笑います。今淵さんの生活は、週末は八ヶ岳という都会と半々の暮らしです。また、画家の宮迫千鶴さんは、14年前からの伊東暮らしです。 「月も草木もキレイ。食べ物もおいしい」と、すっかり定住しています。けれど、なんといっても、50代は、まだまだ現役。しかも、才能は放っておかれません。都会との往復は日常的になっています。
お二人共、じっくり土地の自然に浸れるのには、まだ間がありそうです。最近、別荘地でのセカンドライフも流行中ですが、そこでは、伴侶を亡くすと、都会へ戻る傾向があるのだそう。自然生活は、体力があるうちなのでしょうか。

都会派? 田舎派?

□ 都会の方が生き易そう。
「老いること、死ぬことを考えると、やっぱり都会」は、吉永みち子さんです。老いの先にある死については、具体的なイメージがないし、予定も立たないけれど、環境のいい所に暮らせば、生活は大変そうという判断です。逆に、自然もない、空気も悪い都会は、買い物に行くにしたって簡単。デリバリー・
サービスもあるし、捨て難いからです。 特に、一人暮らしをする身には、一人で暮らせる限界への到達点がやや遠いので、都会生活を選択しています。
「それに、私は、40代後半まで田舎暮らしだったので、都会に出て以来、私には都会が合っていると思ってきました。都会が好きですね。これから体はどんどん衰えていくわけだし、なのに、遊びたい、出かけたいのだから、都会でしょ」というわけです。

□ 田舎といっても別荘地ですが。
「東京で住んでいた家を追い出されて、安い土地を探していたら、結果として伊豆半島になったので、ナチュラリストってわけでもなかったんです」とおっしゃるのは、宮迫千鶴さんです。けれど、住んでみて、田舎に感動しました。月も草木も輝いているのでした。しかし、そこは別荘地。都会のサラリーマンたちの移住が目立ちます。土地の人たちの自然との溶け具合とは、暮らし方も違っています。
最近、画家生活に専念する宮迫さんには、もっとネイティブな田舎暮らしに関心が出てきました。

□ 「八ヶ岳に家を建てました」
今淵恵子さんは、もともと自然派です。バードウォッチングにも、登山にも、たくさんの時間をつくってきました。ですから、一段落したら八ヶ岳生活という構想は、ずっとあたためてきたのです。そして、完成。けれど、仕事は、やっぱり東京にいないと埒があきません。そこで、来年の4月からは、家族を八ヶ岳に置いての都会暮らしを決意しました。週末だけ八ヶ岳に帰る暮らしを続けるつもりです。今淵さんにとっては、八ヶ岳生活への移行が50代のテーマ。通信機器網の発達や景気の快復を願わずにいられません。

□ 70代、80代は、都会生活回帰?
田舎暮らしも、家の管理が出来なくなったときが、引き上げ時なのでしょうか。体力があって、夫婦健在でないと成り立たないという懸念が拭えません。
自然の中のグループホームというのも、人との交わり、コミュニケーションの広げ方か身についていないと、「都会へ帰ります」となりそうです。

 

5.輝く50代は、健康から。 体の声に耳傾けて、食べる、鍛えるのが50代流。

 

65歳までは、回復力も再生力もある。 けれど、今を快調に暮らすには、体の声に耳傾けること。健康法は40代とは違います。

健康法 ①
残る食事回数、ご存じ?1回たりとも、疎かにはできない。ていねいに食べたい。

健康法 ②
体の運動量に合わせて、食べ方を調整したい。誰も3回規則正しくが合っているとは限らない

健康法 ③
筋肉を鍛える効果は大。キレイに歩ける、体重調整ができる、血流がよくなる、カルシウム吸収率が上がる

 食事も運動も、多目的に楽しみませんか。

食事は、楽しい人と、気持ちよく食べるを基本にします。 運動は、キレイに歩ける自分を目指します。となると、どうなりますか? 50代の体が元気でいるためには、何を食べるかも重要なら、誰と食べるかも、大切のようです。
義務感ではなく、ほんとうに食べたいものを楽しく食べるとなると、自然に食卓は彩りも豊かになるというわけです。1回の食事が食べ過ぎるようなら、2回にすればよしという柔軟な考え方も、50代ならではの自由度です。 運動もしかり。スポーツの習慣がある方はともかく、日常的に運動から遠ざかっ
ている人は多いはず。運動=スポーツの観念を外してください。 外を歩くときは、かっこよく歩くと決めると、それだけで背中もお腹の筋肉も頑張ります。テレビのファッション番組で、モデルさんたちの歩き方を見ると、あれは筋力の賜物だと分かります。 脚は第2の心臓だとか。足先の血液を心臓に戻す力は、太ももの筋肉です。

50代流って、こんなこと。

□ 好きな人と食べる機会を増やします。
別に夫婦でなくてもいいんです。一人暮らしなら、当然いつもは、「食べたいものを作ると美味しい!」と言いつつ一人の食事だけれど、友人との食事も頻繁です。 「最近は、仕事に結びつくかもなんて、気の乗らない人とでも食事をしたけれど、今は、そんなことないわ。食べるにしても、飲む時も、話がはずむ人と食べるようになりました」という50代です。そんな食事は、食べるものも多彩で、体を活性化するものが並びます。

□ キチンと3食が負担なら、2食でバランスをとります。
「座ってばかりいる商売だもの、3食はきつい。最近1食抜くことにしました」と吉永みち子さん。その言葉に、管理栄養士でもある村上祥子さんは賛同しました。 「それは、いい考えです。50代からの食事は、ブランチと夕食でいいって言っているんです。病院の食事みたいに、キリリと、朝昼晩、朝昼晩を繰り返すことはない。だって、そんなにエネルギーは要らないもの。とり過ぎになっちゃいますよ。2食にして、夜の食卓には梅酒を付けるとか、ビール飲むとかを楽しむ方がいい」と一同を安心させてくれました。確かに、吉永さんのおっしゃるように、「家族の面倒を見ていた時期は、3食必要で、自分はまだ胃袋が眠っているのに朝食食べて、何となく昼には小腹が減って、また食べるって生活だった。今やっと、マイペース」。 体と暮らし方に合わせた食事が可能になりました。

□ 筋肉トレーニング
「500gのダンベルから始めて、今5kgが出来るようになった。体重も以前まで戻りました」と、一同の羨望を集めたのは、今淵恵子さんです。
何しろ、7kg減を達成したというのです。 吉永みち子さんも、「筋トレは、すればするだけのことはある」と断言します。「駅の階段を駆け下りるということが出来なくなったの。退け、ババアなんて言われてショック受けちゃった。(勇気ある人だ!の声)でも、筋トレ始めて、再生したのよ。腿の筋肉とふくらはぎの筋肉さえ付ければ、それが骨を支えて、関節も楽になるんだそうです。 今なんか、2回でヘロヘロだった腕立て伏せが、30回出来る!」そう。  ダンベルは買わなくても、500mlのペットボトルを振り回せばいいのです。 料理研究家の村上祥子さんは、「私は仕事が筋トレになっています」と笑います。 「スタジオの中を行ったり来たりするだけで、1日に1万9千歩。それだけ歩くと、カルシウムの吸収率もよくなります。それに、姿勢をよくすること。気取ってヒールのある靴はきます。そして、背が低いから、お帽子もかぶる。颯爽と歩きたいですからね」。この日も、アルマーニの男性用のソフト。素敵でした。ちなみに、大腿四頭筋を鍛えておくと、心臓に血液を戻す力がつくのです。
足の筋肉を鍛えると、血流もよくなるし、美しく歩けて、いいことずくめです。

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