50カラット会議

73号 10周年を迎えました

2009年3月 発行所 「50カラット会議」

50カラット会議レポート 

73号

10周年を迎えました

 

この73号は、50カラット会議事務局をお預かりしてきた志垣と田村からの「中締め報告」になりました。

part1 志垣豊子から

72回、いつも気持ちよく笑いました。ありがとう!この73号は、50カラット会議事務局をお預かりしてきた志垣と田村からの「中締め報告」になりました。

50代になるって、こんなことだったのか!
その感動を声にだせば、自信が生まれ、自信を持てば笑えちゃう。笑う門には福来たるはず。
笑うぞ!それが、5 0カラット会議の心意気でした。1 0年前、私たち50代と40代の半ばでした。
40代は体力もあり怖いものなしで全力疾走。その自信で50代は余裕かなと思ったら更年期。体と気持ちのギャップに、泣き笑いの連続だった時期でした。
そこで、第1号レポートのテーマは「ベストコンディション」。ブレーンストーミングに集まったのは、「私よ!」と自信満々で仕事場に出て行きたい仕事師たち。みなさん更年期真っ最中なのに、 50代になったことに抵抗して、まだまだ40代の気持ちと体を目標にする勇ましさがありました。
そして、3周年記念パーティの講演会はまるで「50代の祭典」。小林カツ代さんや宇佐美恵子さん、面城順子さんのお話に笑い転げる50カラット会議で、正に「笑う門には福」を確信したのを懐かしく思い出します。この春、50カラット会議は1 0年目の挑戦を始めます。
凹んだ時代、ふくらませましょ!

 2000年5月「50カラット会議レポート1号」発信しました。

仕事にも人にも恋心で寄り添っていたいから、錆びるわけにいかない!

40代は、なんと輝かしかったことでしょうか!体力も知力も気迫も最高潮。
そんな気分のまま、余裕の50代がやってくるものとばかり思っていた私たちは、更年期に見舞われて、随分アタフタしていました。毎日、自分らしく振舞うことに大きな努力を払う日々を迎えていました。
寝れば治る、笑えば忘れる、食べて飲めば回復する体でなくなったというだけでなく、仕事場で、「こんなオバサンといっしょ?」と相手にやる気を失くさせるのではという怖れさえ抱きました。その上、子離れしたはずの子供がどうしたの、老いた親の様子が心もとないなどと、身の回りもザワザワと転換期。それらをテキパキと片付けて行かなければならないという、前代未聞青天の霹靂の日々になっていました。
実際、50代の体調体力は、かなりの努力なくしては、「機嫌のよさ」が保てません。
睡眠不足の翌朝は、肌だけでなく表情にもハリが消えて、不調の連鎖とでもいうのか、肩こり、腰痛まで起きる始末。その場しのぎのメンテナンスでは元気が保てない体になったのを思い知ります。
体が自信をなくすと、頭まで鈍化します。「あれ、あれ。ほら、何だったっけ?」と、のどまで出かかった言葉が出ない。その上、体型の変化なのか、下着のフィット感まで悪かったりして、訳もわからない混乱に陥りました。
けれど、50代の体の芯には、まだまだ若さが潜んでいました。
まずは自分にワクワクしなければ、人をドキドキはさせられないという強い信念に立ち戻る力がありました。あれこれあっても仕事を続けているのは、自分の仕事が好きだからだし、やり遂げてしまう自分が嬉しいからで、そんな自分が好き、そんな自分でいなければと、素早く実行に移す力がありました。
更年期克服に、仕事師たちがとり掛かったのは、みためづくりという楽しいことが初めの一歩でした。
ポイントは、顔、髪、手足。どこも、自分史の鏡ですが、それはさておき、明日の自分イメージに向かって前進しました。
シワは、幸せに笑った結果とさっさと気持ちを切り替えます。年々引力に引き下げられていく目尻口元頬肉は、とりいそぎメイクで明るい目力づくりを心がけます。不機嫌そうに垂れ下がった顔の筋肉より、明る<語りかけるような目にクギづけさせようという画策です。
更にみためへの自信をしっかり裏打ちするのは、手肌のキレイ。白くふっくらしたあの頃の手も、潤いを失って節々も太くなりました。名刺を出したり、テイカップを持つ手に気後れしないで済むように、日頃の心がけを欠かさない方法など、努力情報の交換も盛り上がりました。
50代になれば、誰も体調と気持ちと見た目が三位一体になるのです。
だったら、大好きな自分を大事にする気持ちを忘れないようにしよう、それが、第1回のブレーンストーミングに集まった人たちの共通の思いだったのでした。
仕事にも人にも、まして自分には、熱い恋心で寄り添つていたいと、うなづき合ったのでした。
顧みると、あの方々、今でも恋を語らせたら、毒舌冴え渡り、大笑いになること確信します。

会って嬉しい50カラット会議でした。

ヘロヘロよと集まってきても、しゃべっている内にどんどん元気になって・・

会議は毎回、「このテーマだからこの方からお話が聞きたい」と参加をお願いしてきました。
その「待ち人」に会える日は、私たち、朝から落ち着きませんでした。どんな話になるのだろう、うまく話を引き出せるかしらというドキドキもありますが、一番の理由は、その日集まってくださる方々に会える嬉しさです。
何故かその日は、部屋の空気が違います。やがて満ちてくるエネルギーを受け止める緊張感からか、そわそわしていますが、そんな所に、時間の10分前くらいになると、一人二人とご到着。
扉を入った途端、「もうヘロヘロ・・・」がご挨拶の人も、みなさんキラキラ輝く目でご登場です。
さすが歳の分だけ磨かれた50カラット人間、みんなを楽しませにやって来たわよというサービス精神がみなぎっているのが分りました。
50代にもなれば、シミシワくすみが気になり、太った痩せたの話もかまびすしいのですが、表情豊かな目や口からほとばしる「ニューズ&ニューズ」は本当にサプライズ!ご挨拶もそこそこに、話は初めから佳境に入るのが、いつものペースでした。
ふつう、お集まりいただく方々は、職種が異なるようにしてきました。50代の専門家ともなれば、どこへ行っても先生格で一方的な伝達の仕事が多いので、50カラット会議のような「みんな対等、みんなが話し手で聞き手」の場は、心も全開。
自分の強さや正しさをグイグイと押し出して自信満々だった40代には口にしなかった失敗談や裏話に、ー同アハハと同調共感したと思えば、「というわけで今度はね・・」と続く七転び八起きの話に、年の功を実感したものです。
例えばこんなこともありました。ある人が19歳年下男性からのプロポーズ話をご披露に及びました。日く、「若く見える自分と80歳になった時の自分をイメージして、嬉しいけれどどうしようかなと心は右往左往・・」。すると次の瞬間、一同にエッ!と喜びの笑いが広がって、50代からの結婚論に発展しました。
「5年間の幸せをイメージした結婚だっていいのだからね!」「幸せが見えたのだもの、迷わず進むべし!」の大合唱。
50カラット会議は、会って嬉しい女の集まりでした。
会議が終れば、いつのまにか名刺交換。「いつかまた、あなたの考えを聞かせて。私には思いつかないんですもの!」と友だちの輪を広げる風景もあって、それがお仕事仲間に発展したとも聞いています。
ああ、よかった!

かくありたいという自分イメージを、よく語り合いました。

                                                                               1.50代からの心意気

50カラット会議を始めた頃、「50代の話をします」というだけで、「私はまだ50代になったという実感がないから・・」と抵抗した方はかなりいらっしゃいました。
けれど、「50カラット会議レポート」の号を重ねるに従って、お声をかけると、「待ってました!」と受けてくださるようになり、50代という年代に自信が広がっているのが分りました。団塊の世代が50代になるといわれ、50代向け雑誌の発刊も続いた時期だったこともあり、50代であることへの戸惑いが心意気に変わっていく上昇気流が満ちていたのです。2002年11月のレポートは、「50代からの新天地」がテーマでした。
ノンフィクション作家の吉永みち子さんや今は亡き画家の宮迫千鶴さん、料理研究家の村上祥子さん他とのブレインストーミングは、50歳という転換点をどう捉えるかで、熱い時間になりました。
「自分自身をどうするのかが問われていると思う」「家族の関係も、仕事も、余分なものは整理して、一番大切にしたい時間を育てていきたい」「新天地への飛翔は、リスクもある。けれど、自分の人生のたたみ方は自分で決めるのよね。いまはその時」など、それぞれの体験と人生設計をお話いただいたのでした。ブレーンストーミングと併行して行った「50代の近況アンケート」では、全国の50代から、「始めます!」「始めました!」と、希望溢れる回答を沢山いただいたものです。そして翌年6月の3周年記念講演会は、レポートを読んで下さっている方々が全国から集まりました。
料理研究家の小林カツ代さんの「胃袋体験」にびっくりしたり、高城順子さんからの「体の変わり目は食生活も転換期」というお話に深くうなづいたり致しました。元トップモデルの宇佐美恵子さんの「第一歩は、なりたい自分、きれいな自分をイメージすること」というお話は、それならできる!と集まった170人に自信をつけてくれました。                                                                      そして2006年。「50代からの挑戦」というテーマでのブレーンストーミングは、「もう迷っては入られないスペシャル」で、抱腹絶倒の内容になりました。なんと、覆面会議になったという日く付き57号でした。つまり、「やり残したことがある!」と口火を切ったとたん、出てきた夢と情熱話は百花練乱。
「仕事に暮らしに、持てる力を出し切りたい」「そんな自分を楽しんでくれる人が傍にいれば最高!」と、それはそれはパワフルでございました。50代の底力を確信した7年目でした。                                                                           底力といえば、昨年8月のテーマ「オバサンの底力」は、「私たちは社会の安全弁なのよ」と、自分たちの年代自賛の究めつけでした。世の中の「オバサン評」に、思い出し笑いをしたり、呵呵大笑しながら、お節介・世話焼きも必要な世相に年の功が活かせるはずと、社会的存在感にも自信を深めた私たちでした。

2.50代からのみため

白髪、老眼に、「あれれっ?」の時は、まだ序の口でした。
お店のショウウインドウに母親そっくりの立ち姿を見つけたときは、思わず息をのみました。頭の中にはイメージする40代にみえる自分がいるはずなのに、母親の歳に近づいているのでした。
みためは、暮らしの鏡、体調の鏡、気持ちの鏡と、何度も繰り返しているのに、まだまだと多寡をくくつていたツケが回って来たのだと覚悟したものです。
みためをテーマにした初めての50カラット会議は、美容研究家、雑誌の美容記事ライターなどが集まっ て行われたのですが、「まずは、50代になったことをはっきり認識すること」という言葉から始まりました。
「体形、肌や髪、手足に表れた変化に、目をつぶっちゃダメ」「現実を直視しなければ、対策が立たない」と言われればその通りと、正に「四六のガマ」の心境。脂汗流しながらも己が姿に向き合う機会になりました。なにしろ、風邪をひいただけで、5歳は老けてみえる自分にガクゼンとしていたのですから。
2004年11月のテーマは「トシのせい」。「後ろ姿に自信があっても、前はねぇ」「地球の引力に逆らえない筋肉や体形」「物忘れも・・」と実感する「歳実感」について、喧々諤々。けれど、50カラット会議も5年を重ねていた成果でしょうか。それぞれに嘆きながらも、「もう一度、振り向かせちゃいましょう!」と、抗加齢対策の目標を即決。
「みんなが振りかえる視線」とはいかなくても、友人や家族から「この頃、なんだか軽快ね」と言われるようになろうと決心したのでした。
折りしも、増え続ける50代にむけて、化粧品も下着も「修復」をテーマに新商品続々。世の中が50代の修復意欲に味方していると思ったものです。
体形を維持する努力は、食ぺ物だけでは難しいことも分りました。
ビューティクリエーターから、「体を鍛えること。筋肉質の体になる努力をしないとね」と、毎日2000m泳いでいる吉永小百合さんの例を引いて、檄が飛びました。
筋肉質の体と聞いて、「モリモリの筋肉になったら・・」と心配したら、「そうなるには、スポーツ選手くらいやらなくちゃ。なりませんからご安心を」と笑われたのも、懐かしい思い出です。
「週に2回はスポーツする。それが無理なら、毎日ベッドに入ったら、足を上にたてて、上げ下げしたり、左右にゆっくり振る運動をしてね」と言われ、それ位ならと夜な夜な足の上げ下げをしたのも、この頃。 筋肉質の体は、代謝がよくなりますから、太りにくい体になるだけでなく、歩く姿も颯爽。「鍛えた体は美しい」と、惚れ惚れできるはずの自分をイメージも致しました。
崩れるのは、体の線だけではありません。顔の形もそう。殊にアゴの線は、下がるばかり。
「顔の筋肉も鍛えていれば、衰えにくいのよ。例えば歌手の口元って、きれいでしょ」と、優しく諭してくれた宇佐美恵子さんの口角を上げる「割り箸体操」を、改めてご紹介しておきます。
①「イーツ」と声を出して、口を横に広げ、割り箸を噛んでくわえる。上下の前歯が橋の中央にあっていることが大切です。
②下あごを少し前に出すつもりで、もう一度「イーツ」。1回に5-6分、1日2-3回を目安にどうぞ。50代のみためどころか、60代のみために挑戦中の身としては、しばしば目標と自信を失いがちですが、10年目の挑戦事項の1つに、「みため」は加えるつもりです。

3.50代からの体調管理

「50代からは、体と気持ちとみためは三位一体」を実感したことで、50カラット会議としては、先ず元気ときれい維持目標の食生活を話し合うことにしました。
ひとことで言えば、「快食・快便・快眠」につながる食生活が、50カラット会謙のテーマでした。
50代は、食べることにかけては「コスモポリタン」。高度成長期の消費文化に続いて、外食産業の拡大の波を楽しんで、世界の味を食べ歩いた年代です。
それが、「普通に食べていると太る」「ダイエット効果が簡単に出ない」と、消化吸収力や代謝力の低下を実感して、胃にもたれない食べ方などの情報を交換するようになっていました。
「蒸す料理」「栄養たっぷりなのに低エネルギーのメニュー」「雑穀料理」「野菜料理」の再発見が、雑誌でテーマになり、こと野菜については、「生活の忙しさと野菜料理のレパートリーは反比例する」と言われ、ドキッとしたのを覚えています。
2002年12月は、そんな「野菜生活」がテーマでした。
管理栄養士の竹内冨貴子さん、家庭薬膳料理研究家の植山美保さん、食のエッセイを沢山書いていらっしゃる檀晴子さん、料理研究家で野菜にかけては第一人者の高城順子さんとの「野菜談義」は、野菜が体だけでなく心までも豊かにしてくれるという、経験豊かなお話が盛りだくさん。
季節を待って届く野菜の初々しい香りや歯ごたえ、旬真っ盛りの味も栄養もたっぷりな野菜。それらを洗い、調理していく時間の気持ちよさ、そして、野菜料理を何品も食卓に並ぺた時の満足感etc.
しかし、なんといっても、「今日不足したから明日病気になるわけではないけれど、野菜パワーは、10年後の体調を支える」という言葉に納得しました。その後2004年5月のブレーンストーミングは、「家族に生活習慣病の予兆」という不安がテーマ。
散々に楽しんだ生活習慣がワナだったのか!と振り返るほどに、生活習慣病は、食べ歩いた50代に降りかかった火の粉だったというわけです。そこで始めたのは、「家で三食」。
一番多かったのは「朝型生活への切り替え」でした。朝食をしつかり作って食ぺる、それだけで便秘が治ったという人もいて、三度の食事をきちんと取ることの大切さを改めて認識したものです。生活習慣病は、軽いうちなら、食生活で何とかコントロールできる。中性脂肪は、食事次第で、面白いくらい変化すると、家族全員で、新しい食習慣に挑戦するチャンスと捉えた方もありました。もともと、食事づくりの基本は、糖尿病食に学べといわれています。「ストレスにならないように、これはダメあれもダメではなく多種多彩な食品を、総量控えめに摂るということ」です。
今年1月、医学博士で管理栄養士の本多京子さんに伺ったところでは、「基礎代謝量、運動量が低下す るのだから、今まで通りに食べれば太ります。カロリーを控えつつ、必要な栄養素を摂る食事への切り替えが大切」「低カロリーというと、低栄養になってしまう人がいますが、人間はいくつになっても、蛋白質、ビタミン、ミネラルの必要量は大して変わらない。髪も爪も伸びるし、胃腸の細胞寿命は40日、骨の細胞寿命は4ヶ月ですから、部品交換の原料としての栄養素はしっかり摂らなきゃいけません」とのこと。体もずっと成長期なんですね。
10年目の目標は、「高密度栄養」「低カロリー」「笑ってごはん」です。

50代は、人間関係も転換期です

 1.声をかけて居心地いい場所を広げています

50代も後半になると、「世話焼きになった気がする」という声を聞くようになりました。
親を訪ね、姉妹で話し込み、子供の家庭におすそ分けを届けたりして、いつのまにか、親兄弟姉妹を仕切っている自分に気づいた人は大勢いました。親からの電話にも、「何か用?」と聞き返す無礼者だったのですから、自分で自分にびっくりしています。「美味しいものを取り寄せたから」と機会をつくっては子どもを呼び寄せて、娘から「お母さんのは取り寄せ便ならぬ呼び寄せ便ね」と笑われている人。「贈りものは、半分は自分の楽しみ、あとの半分は相手の喜ぶ顔が見たくてするのよね」「モノをあげるって、自分のストレス発散にもなる。ただただ楽しい!」と旅先でお買い物習慣ができたという話も伺いました。「人は持ちつ持たれつ。日頃お世話をかけている人に、おすそ分け風の軽いやりとりが何気なくできるようになれば人間も一人前なの」と、皆さん「年の功」を自画自賛。2008年8月のテーマ「オバサンは社会の安全弁です」では、年の功を活かしたお節介が話題でした。
公共の場でのマナーの乱れに上手に声掛けられるかと言われると、「相手を追い詰めない一言上手になりたい」など自信はイマイチでしたが、声かけ上手は「居心地よい社会」づくりの一歩です。それにしても、仕事や遊びを通じて知り合った友人知人とのお付き合い、どうしていらっしゃいますか?50カラット会議は、1回に平均5人の方々とお話してきました。別冊をいれると79回の50カラット会議でお目にかかった方は、延べ約395人になります。
中には、テレビの画面でお目にかかれる人も多いのですが、何といっても、50カラット会議でのT々発止呵呵大笑のやりとりの面白さを思い返すと顔を合わせて話す時の刺激は、筆舌に尽くせません。仕事から引退すると、お目にかかる機会がなくなる方がいらっしゃいます。
50カラット会議も10年目ですから、時々「60歳になりましたから、卒業しなくちゃだめですか?」というお手紙をいただきます。とんでもない!50カラット会議は、「人生は50から・・っと」張り切るネットワークです。「こんな人たちと集まります!」とお知らせしたら、ぜひお出かけください。

2.男性たちからのメッセージ「これからもよろしく」

60歳前後の男性たちからお話を聞く機会にも恵まれました。
「還暦祝いなんて無関係」と口とがらせつつも、「久々のクラス会のきっかけにはなりました」という60歳たちでしたが、「定年の日々」について悲喜こもごもの話が飛び交いました。
戦後の新しい時代の先頭を走って、企業戦士であることの充実感と達成感が生きがいだった人たちの「定年」は、解放であると同時に追放でもあったようでした。解放感は「子供の教育費もなくなったし、仕事と縁を切りたい」「これからは趣味三昧」、追放感は「仕事生活で培った人間関系や知識を楽しめなくなるのは残念」など、身の置き所のなさで語られました。
けれど、そうなのか!と驚いたのは、妻との力関係の変化でした。「妻の発言力が、日々大きくなっていくのを実感しています。妻の生活ペースで動いていた場所に入ったのだから、それに従わないと・・。スポーツクラブに出かけるのでも、妻は車、僕は自転車。優先権が逆転しました」「これまで放つておいた罪滅ぽし生活ですから、妻第一です。お買い物が好きなので、あちこちのスーパーに運転手しています。ガーデニングにもつきあって、花の名前もだいぶ覚えました」と微笑ましい生活が始まっているかと思えば、「週に3-4日は外出して欲しいといわれています」「ハローワークに行ってみたらというので、行くことは行ったけれど、少し放っておいてくれないかなあ」と、妻の態度に戸惑う人もいました。
「妻はこれまで一緒に山坂を越えてきた戦友。以心伝心、夫唱婦随でいきたい」「これからの居場所は自宅。リビングを居心地よくリフォームして、夫婦時間も気分一新するつもり」と寿命までの20年余をつつがなく過ごす計画ですが、中々厳しいスタートを切った模様。
夫婦間の気持ちのギャッブは、胸に響きました。
夫婦は戦友だったと言うけれど、ふたりで山坂の辛さを労りあいましたか、困難を越えた時は達成感を祝い合いましたかと尋ねたい気持ちになりました。
言わなくても分かることは多いけれど、それでも妻たちは「口に出して欲しい、態度で示して欲しい」のに、夫はそれを口に出せないには、理由もありそうでした。「妻と話すとケンカになっちゃうんですよ」「妻の怒りには、黙って耐えます。もっとも、黙っているとズルイ!と怒りますけどね」とのこと。
「カミサンは隣の部屋にいる安心感がほどほど」と誰かが漏らすと、その場の男性たちは一同共感の面持ちでした。さて、これからの20年余、いかがなりますやら。
末永く、お幸せに!

3.女性たちの望みは「笑ってごはん夫婦」

子供が巣立った家庭では「ふたりの食卓」がテーマになり、友だち夫婦から出発した団塊の世代家庭では、「まだ友だちなのだろうか?」とふたりの距離感と力関係がテーマでありました。
ふたりになった食事時間の過ごし方は、家庭生活の根幹で、それぞれの気持ちが一番表れるところとなり、妻たちに緊張感が走っているのがよく分りました。                                                                                 2000年12月のブレーンストーミングは、「一緒にご飯」の楽しみ開拓について語り合いました。
夫とふたりもいいけれど、お客様を呼んでしまう、ごはんに来ない?と近くの友だちに声を掛ける、いっそ近所の居酒屋に出かけてしまう..などと、ごはんコミュニケーションを解放的に実践していたのは、イラ ストレーターのこぐれひでこさん、エッセイストの檀晴子さん、タイ料理研究家の氏家昭子さん、料理研究家の引頭佐知さんでした。
中でも氏家さんは、「ほとんど外食だった夫なので、ウチでごはんを食べ始めた時、えっ、この人猫舌だった?とびっくりしたんですよ!」と大笑い。それでも流石料理研究家。わが食卓へようこそと、たちまち夫の舌に合わせた調節をなさったようでした。
50カラット会議が行ったアンケートでも、「食卓に飛び入りがあると、作るにも工夫が働きます」「少しずつ席を詰めて囲む狭い食卓は、それだけで和やかになります」「お客様があった時、ちょっとした気働きを見せたり、積極的な会話をする夫を発見。おやっと見直す機会になりました」等の記述がありました。
「ふたりの食卓」再生復活は、着実に賢く進行していて、ま、ハタが心配することでもないようでした。「同棲」が流行り、「友だち夫婦」を標榜していた団塊の世代たちは、距離感を語りました。
「妻になる、嫁になる、家に入る。そういう昔ながらの夫婦になりたくなかったのよね」と出発した夫婦は、「子育てをし、親の介護をしながら、一緒に走ったり転んだりしたから戦友かな。同志かな」という一体感を持つに至りました。
夫婦という関係に縛られるのが嫌で、長年入籍しないままでカップルをやってきたという人は、「それぞれ勝手に仕事して、同じ家に帰ってきて、仲良くしてればいいと思ってきました。若いときは、お互い色々あったけれど、今は淡々。友だちでも夫婦でもない、姉と弟のよう。悪い高校生と暮らしている感覚かな」と笑いました。
家にいる時間が増える、仕事仲間より近所の幼友達と飲み始める、出かけようとすると「何時頃帰るの?」と聞かれるなど、夫の行動に変化が出始めて、一瞬戸惑った人たちでしたが、「近づいてきた夫は、しつかり受け止めたい」「夫の世界に、すごーい!と惚れ直したい」という決意も生まれていました。熟年離婚が流行のように語られた時期がありましたが、最近一段落な様子です。50カラット会議の9年間では、「離婚」よりは、「結婚」のことが話題になる傾向がありました。
「離婚」は個人的なアクシデントですが、「結婚」は同年代への檄のように、楽しく勇ましくて、みんなに笑いを撒き散らしてくれたからでしょう。9年間で、「結婚しました!」とご報告いただいた数は、5人でした。『笑ってごはん』(2007年5月出版50カラット会議編)なさっていることでしょう。

4.女の磨き方は余暇の中にありました

映画からは強さを、旅先ではないしなやかさを

凹みそうになると、膨らんだ自分になる努力をする。それが50代女性にとって「女を磨く」ということ。
50カラット会議にはそんな共感がありました。
ティーンエイジャーの頃から、映画は憧れのスタイルを探しに行く場所だった50代60代です。 映画といえば、アートシアターギルド系でヌーベルバーグに酔い、サラリーマン喜劇に笑いました。
「凹んだ週の土曜日には、思わず噴き出す駅前シリーズ、社長シリーズで大笑いして、帰りにあんみつ食べて復活したものだわ」
「今でも、寝込んだりすると、懐かしい時代劇やチャンバラものをCATVで観ながら静養する」
「極妻シリーズの着物姿なんか、良家の女性の着物姿とは違った美しさ、すごさがあって好き」と、昔の映画には元気にしてくれる力を感じています。
映画での感動は、すぐ実践しました。ファッション、歩き方、自分のきれいイメージは、映画がお手本でした。ローレンバコールのコートの羽織り方は真似ていました。『エイリアン』のシガニー・ウィーバー、『ローズ家の戦争』のキャサリン・ターナー、『ジャッキーブラウン』のパム・グリア・・・・強い女、自分の人生を切り拓いていく女性には、強い共感がありました。
今でも、映画館は大好き。瑞々しくしなやかに生きる強さに出会うと、しばらくは幸せ気分が続きます。旅もまた、我が身を磨く手段でした。
40代までは、何でも見てやろう方式で、自分に投資する気持ちでの海外旅行に夢中だったものです。
「稼いだお金は、全部食べちゃった」という料理研究家、「家々の門瓢の写真を撮りたくて、ヨーロッパ中を駆け巡りました」という建築家をはじめ、みなさんよく飛行機に飛び乗りました。
けれど、50代も半ばを過ぎてからの旅は、忙しすぎて体も気持ちも凹みそうになったときのカンフル剤の役目です。
エスニック料理研究家から事業家に転進した安達みゆきさんは、「1つの仕事が終つて、次が始まるまでの間に、心の元気を取戻す旅に出るの。飛行機に乗った途端、自分モードにスイッチが入って、心は軽くなり、誰かと話すのもポジティブになっちゃう。鼻が利いて、カンも働いて、自分の世界がどんどん開け
ていくのが分ります」と旅の力を語り、みんなの共感を集めました。海外旅行は、自分が女性だということを意識するチャンスでもあります。
「50代になると、日本では女性として敬ってもらえない。けれど、ヨーロッパ、アメリカでは、公共の場所、レストランでは女性として扱ってもらえるから、おしゃれもしがいがある」
「日本の旅行は、夜の食事が終るとヒマを持て余すけれど、外国は夜のエンターテイメントがたくさんありますからね。オペラ、コンサート、ショウタイムは夜。思い切り着飾っていく楽しみも実現しました!」
日々「私って、男前」などと笑いながら、すっきりどんどん突き進む生活をしてきた50カラット会議のメンバーたちですが、「世の中男と女の2種類の人間がいるのですもの、女性だけが味わえる暮らしがあれば、味わい尽くしたい」と目キラキラ。そんな旅行上手たちも60代になり、彼女たち最近またまたケイタイがつながりにくくなっています。どこの旅の空で、はじけているのでしょうか。自分のものはないですものね!」

 

Part2.田村亮子から

みなさま、アンケートにご協力ありがとうございました。

毎回、数字の陰に隠れた50、60代の涙と希望を探りながらグラフを作成し、コメントを書いてきました。回答用紙の裏にびっしり書かれた近況報告も、ていねいに読ませていただきました。50代での結婚や離婚、突然の発症と闘病生活のこと、夢を追って頑張る息子への心配と応援、尽くしても報われない義父母の介護のこと、外国で結婚してしまった娘に対する寂しさと初孫誕生の喜び、初めて個展を開いた嬉しさ。家族と離れて単身生活をしながら大学院に進み、書き上げた論文を送ってくださった方もいらっしゃいます。
いま、「50カラット会議レポート」を1号から読み返してみると、最初は更年期のあたふたから始まっています。「いったい私はどうなってしまったの?」。母親も先輩も、誰も教えてくれなかった“50代から先の私に起こること’’。困惑と不安と。情報がないなら、自分たちで作ろう。
こうして、同年代の情報交換が「50カラット会議レポート」を介して回り始めたのが2000年5月でした。
あれから10年目。最初の驚きから覚悟へと、私たちも変わりました。

1. 初めの難題は、50代の激動期をどう乗り切るか、ということでした。

50代の戸惑いは、自分の体調と家族と社会的な位置づけが一挙に変わってしまう“ トリプルパンチ” にありました。1つならふんばって耐えられるでしょうが、2つも3つも重なって押し寄せてくるのですから、相当にキツイ。
更年期で激変する体調に慣れるだけで精一杯なのに、こんなときに家族が大きく変わります。子供たちが離れて行く寂しさ、老親の介護が始まる重苦しさ、あるいは、夫とふたりきりで向かいあう気詰まりな暮らし。定年退職した夫がずっと家にいるようになると大混乱です。
おまけに子育てが終わり、「〇〇ちゃんのお母さん」という地位が失われる不安定さもあります。あらためて自分は何者なのかが問われる。自分の役割りを見失い、無価値になったような気分に落ち込むのもこの頃。当時のアンケート結果からは混乱の思いが伝わってきます。
● いま夫と2人暮らし。母親業も終わり、夫との対話を大切にと願っています。夫はとても会話ベタでけんか口調。でもこれからは人間対人間のつきあいに変わっていきたいと思います。 ( 「50カラット会議レポート8号」2000年12月)●夫が体を壊し不機嫌にしていることが多いが、うまく対応できない。夫の考えていることがわからず、別の方向を向いているようだ。( 「5 0カラット会議レポート7号」2000年11月)●仕事と家事と老親のケア、家族の心配事に追われ、自分のことができない。ライフワークがみつからない。これから何ができるのだろうか。
●自分自身の将来がどうなるのか不安。もうひと花咲かせたいが、どうしたらいいか迷う。●これからはただ歳をとっていき、病気がちになり、誰からも必要とされなくなり、死が待っているだけという暗い気持ちになりがち。( 「50カラット会議レポート7号」2000年11月)

 

そんな中でも、体と気持ちの落ち込みは青天の露震でした。
女性ホルモンが激減することが、こんなにも体と心に打撃を与えるとは予想もしなかったことです。わが身とわが心なのに、自分ではコントロールが効かずに暴走してしまう恐怖。
突然カーツと頭部に向かってのぼる熱感、大量の汗がとまらない、食べ過ぎでもないのに増える体重、バンバンに張ってしまう肩こり、眠れずにベッドで悶々とする夜、急上昇を統けるコレステロール値、心臓が飛び出すかと思うほどの動悸、カサカサに乾いて痒い皮膚。
意思と努力で道を開いてきたつもりだったのに、突然気力が萎えて、何もかもが億劫になる、努力しても頑張っても効果が現れない。「いままでの私はどこへ行っちゃったの?」。更年期障害になるのは、なまけているからだ、という偏見も10年前はまだありました。働いている女性たちは更年期症状が軽いはず。ヒマだから具合が悪くなるのだと。
でも、そうじゃなかった。やりがいをもって毎日を忙しく過ごしていた50カラット会議メンバーたちが、ひどい更年期症状に悩まされ始めました。
● 1年くらい振動音が聞こえた。低血圧症と診断されたが、ひどいめまいで天井がまわり、1週間寝たきりだった。●皮膚を虫が這い回っている感じがすることもあった。●更年期と仕事のステップアップが重なり、自律神経症と頚椎ヘルニアで入院。あせらずやっていくことにして回復したときには、3年が過ぎていました。( 「50カラット会議レポート1号」2000年5月)
●気力がなく、すべて億劫。希望が持てない。ものごとにとりかかるまで時間がかかり、始めても集中力がない。●外出したくない、家事をしたくない、電話にでたくない、カーテンをあけたくない。●虚無感。何もする気がなくなりました。脳からの命令に体が全然反応しない。
( 「50カラット会謙レポート7号」2000年11月)

2.目標は「更年期でいったん落ち込む曲線を持ち上げること」でした。

老いは誰しも初めて。わからないことだらけです。年をとるということは、なだらかな曲線を描きながらゆるやかに老いてゆくものだと、漠然と思っていました。40代の体力と気力のままで60代までいけるに違いない、と楽観的でした。一晩寝れば回復する40代と、頑張りすぎた翌日は使い物にならなくなる60代との違いなど、考えられませんでした。
「老い」というものを、白髪になる、シワが増えるといった表面的なことでしかとらえてなかったのです。
更年期のことも、女性ホルモンが激減してしまうことの深刻さがまるでわかっていなかった。 女性ホルモンの減少は、すぺてのバランスを一気に崩してしまいます。自律神経を乱し、体温コントロールをメチャクチャにし、心臓がばくばく、神経が興奮したままで眠れなくなる、感情が抑えられずに怒ったり泣いたり、免疫系に影響して突然アレルギーが出る、或いは、骨が壊されて骨粗縣症になる、動脈硬化をおこす。みんな女性ホルモン激減の結果です。
と、ここまでくれば、専門家ならホルモン補充療法となるところでしょう。でも、「50カラット会議」の対応策は違いました。自分の体と心を使って、この落ち込みを持ち上げようと考えたのです。それぞれの症状にひとつひとつ対応し、元気づけて行く方法を探りました。
●なるぺく動きます。外に出て、人を見て、姿勢やおしゃれの刺激を受けて。●その土地の 水を飲み、その土地の発酵菌で作った漬物やヨーグルトを食べて体のリズムにあった季節の旬を食べて医食同源。2週間で自分の体が変わってくるのがわかります。( 「50カラット会繕レポート3号」2000年7月)●この年で、なんて思いません。自分がイキイキできて楽しく、自分を表現できる1つのキャンバスと思って化粧、服装を決めています。( 「50カラット会謙レポート5号」2000年9月)●気持ちが疲れたら歩く。決まったコースを歩く、初めてのところを歩く、長距離を歩く、夕陽を見ながら歩く、友達と歩く。●毎月1日の映画の日は、行くと決めて実行。レディースデイを利用して、外国映画を見に都心へ出かける。●ひとり暮らしですが、シーズンイベントは必ずやります。今はお月見のセッティング。花、食器などを取替え、クリスマスシーズンは最高。( 「50カラット会議レポート7号」2000年11月)

あるとき、同年代の男性がいいました。「いまさら嫁に行くわけでもないのに、なんで50代に
もなってキレイになりたいんだ?」。
お答えします。きれいな外見が、気持ちを明る<し体調もよくしてくれるからです。
若い人たちの体調と気持ちと外見は分離しています。風邪をひいて熱で瞳が潤んでいても、悲しみで涙にくれても、若ければ美しい。気持ちがへこんでいても、若い体は食欲もあるし丈夫です。ところが50,60代はこの3つが三位一体。体調が悪ければ、気分がふさぎ、眉間にシワを寄せて髪はポサポサ、まるで山姥です。逆に、「きれいね」と褒められただけで気持ちが華やぎ、体調がよくなります。
見た目の美しさが健康な体をつくり、明るい気持ちを生み出すのです。どこからでもいい、上向きのスパイラルに入れば、体調も気持ちも外見もすべてが上向きになってくる。こんなことがわかったのは、「50カラット会議」を始めてしばらく経ってからでした。
50代からは、“ 人はみかけ” とつくづく感じます。内側が元気なら外側も元気。その逆もしかり。

3.「更年期」の先にみえてきた「老い」。

更年期の乗り越え方がだいたい見えてくると、いよいよ「老い」が待っています。
「50カラット会議」を重ねるにつれてわかってきたことは、「老い」はゆるやかな曲線を描いて坂道を下るのではなくて、実際には階段状にガクンガクンと下るらしい。
このままいけるかも、と思ったとたんにガクンとくる。ひとつの段差を無事に下りれば、しばらく平穏な年月が続くようです。
「生まれたときから死ぬまで、人生はゆるやかに弧を描く」というイメージは崩れ去りました。それに、筋肉も骨も内臓も精神力も、全体が均等に弱ってくるのではなく、まだらに老いてくるということ。弱った部分は他で補いながら支えあっていくのが、老いの姿らしいのです。
体のどこが弱るかは、遺伝的な体質、暮らし方や環境などさまざまな要因がありそうですが、 50、60代ならまだ間に合う!70、80代の健康は、50、60代の過ごし方にかかっている、と肝に銘じました。
●最近、自分の年齢に逆らって初級エアロに入会しました。学生時代に陸上競技をしていたこともあり、何も抵抗もなく続いています。年齢に逆らったりすることは、若さを保つことでもありますが、ほどほどにしています。●老いは自然の摂理だから仕方がないと思いつつ、いかに現状を保つか、体力づくり、サプリメントと目を光らせています。●60代に入ると一日一日の老化を感じるようになり、ビタミンやローヤルゼリーなどをいつの間にか摂るようになっていました。●無理をせず、歳相応でよいと思うが、一方では年齢より若く見られたいと思う気持ちがあり、二律背反。●食べ物、運動などの対策をとっていますが、「加齢は楽しい」と発想の転換をしようと思う。( 「50カラット会議レポート48号」2004年11月)

ひとくくりに“50、60代”といいますから、50代も60代も同じようなものだと思っていました。
ところが、更年期をはさんだこの年代は、「老い」に対する態度がまったく違います。40代後半から50代前半は更年期前期とでもいいましょうか、女性ホルモン激減の波にもまれてあっぷあっぷの時期です。突如あらわれた不調をなんとか回復して元通りになりたい。若い自分に戻れる、という希望がある時期ですから、症状の1つ1つに対応しようとします。
世間に50代だと公言するのをためらうのもこの頃だし、「年齢なんて関係ありません!」とムキになります。自分が50代だということが信じられない!現実感がないのもこの頃です。 ところが、50代後半を転換点としてガラリと方向が変わります。
団塊世代が60代に差しかかったときに、「50カラット会議レポート」のアンケート結果も変わってきました。
体調を元通りにすることに躍起となっていたのが、こんどは基礎体力づくりに一生懸命になります。たぶんこの転換点が、老いを受け入れたときなのだと思います。わが身の老いを受け入れた瞬間から、積極的に歳を重ねることを考え始めています。
40代にもどるためではなく、60、70代をキレイで元気に過ごすために。
● 50代に入ったばかりの頃は「抗」だったかもしれません。第一線を退いたいま、加齢も受け入れる方向に意識が変わってきたと思う。体も心も楽になってきましたから。●年齢にあった衰えを受け入れつつ、老いにあらがうのではなく、衰えと共存しながら居心地のよい状態にいられるよう努力する。●無理に若がえることでなく、歳なりに健康でいられるよう努力することが大切だと思う。( 「50カラット会議レポート48号」2004年11月)

4.50代からは、生物を超えた“ 超生物” としての新しい道を歩き始めます。

2008年春、ひとりの免疫学者に出会うことで、“ 超生物” という考え方を知りました。
次世代を残すという生物の原則を考えると、50歳を過ぎた私たちはもう必要がない。「免疫」という体の力は、生物学的には30、40代までが生きるために作られた、と考えるのが自然だそうです。ところが、私たちは50、60代になっても生きている。
そこで、こう考えるのです。『免疫学からみると、ヒトは50代からは、生物を超えた“ 超生物’ ’としての新しい特別な道を歩き出している』と。
「“ 超生物”50代からの免疫力」(50カラット会議レポート68号2008年4月)には大きな反響がありました。50カラット会議のメンバーの中では“ 超生物” という言葉が流行り、ふたことめには「私たち“ 超生物” だものね」と笑い転げました。“ 超生物” という考え方が50、60代にどれほどの解放感をもたらしたか。次元がひとつ上にあがったような、肩の荷が下りたような、自分の思い通りに生きていいと許されたような、爽やかな風が吹き抜けた気分です。
ところで、“超生物”にはどんな可能性が残されているのでしょうか。
免疫学者によれば、50代で免疫細胞を教育する胸腺が小さくなり機能がなくなった状態でも、残った免疫細胞を活用して充分生きていけるのだそうです。バランスが少々崩れたって、残 りカスで生きていける。別に寂しいことじゃない、これこそ“超生物”の人間なんです、と。
脳科学者によると、脳が構造的に完成して形がおとなの脳と同じになるのは10歳前後。格好だけはおとなと同じになるけれど、脳がちゃんと働くようになるにはそれなりの年月がかかります。脳細胞の数は生まれたときから決まっていて、あとは減るだけですが、50、60代では70、80%残っている。残りの脳細胞がきちっと働いていれば問題はありません、と。
女性ホルモン激減だって、体がその状態に慣れれば安定してくる。そう考えると“超生物”の時代が楽しみになってきました。

50代からは“超生物”だと考えると、気が楽になりました。役割りで生きるのはもうおしまい。
ひとりの人間にもどって自分の人生が生きられる。50代からみる夢を調査したことがあります。次の3方向がでてきました。                               ①未知の分野へとまったく新しいことを始める                                                               ②今までの知識と経験の総仕上げをする                                                                  ③人間関係、環境の方向転換をはかる。
心理学者の河合隼雄氏によると「人間には生きなかった自分の影」があるそうです。選ばなかったもうひとつの人生。50代を過ぎて“ 超生物” になると、その影を生きてみたい、と思うようです。欠けていた人生を最後に埋めたい。それが、新しい世界への挑戦です。
総仕上げは、拡大という形をとることもあります。思い切って勝負に出る。また、方向転換とは、田舎に移り住む、人が集まる空間に建て替えるなどがあてはまります。環境や人間関係の方向転換を図るのですね。
夢を実現するために、“超生物”として体調を整え、気持ちを豊かにし、そして美しくありたい。ようやく、目的が明らかになってきた気がします。
● 去年の5月熟年離婚した。55オだった。12月にケアマネージャーの試験に合格した。人様に少しでもお役に立てる仕事に就くことができ、自分の人生もリセットできた。●50代で大学を出て、国家試験受験後資格を取得し、それを生かした仕事に就いた。●母の残した着物、骨董市で仕入れた和服地を生かして、タペストリーやバッグに再生して販売。ポチポチ売れています。●この辺はお茶を気軽に飲めるところがありません。リビングを店に!狭いため下に部屋を作って家具を移動させなければならない。なかなか進まないが、保健所からはOKが出そう。●海外アジアおばさん一人旅。3月にラオスに個人旅行で行きました。これからあちこちひとりでさまよいたい。最終的にはイエメンのサナアにひとりで行くことが夢です。●もう一度、恋をする? !片思いでOK。恋心を楽しめるよう。(「50カラット会議レポート57号」2006年6月)

 

 

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