2009年6月 発行所 「50カラット会議」
50カラット会議レポート
74号
50カラット会議90周年記念講演&交流会
誰だって年をとるのは初めて。だから人生は初心者だらけです。
10年前、私たちはやっぱり初心者でした。
40代までとは異なってしまった“ 体と心と見た目"をどう受けとめたらよいのか戸惑いがありました。
あれから10年。積み重ねとはすごいものです。
「こっそり50代」だった私たちが、「どんと来い60代」になりました。ひそやかに瞬いていた輝きが、いまや燦然たる輝きです。
記念講演&交流会では、作家の吉武輝子さんと料理研究家の高城順子さんが、「人生100年時代に、楽しくはずんで生きられるヒケツ」について
お話くださいました。ご報告です。
「病気になっても、病人にはならない」
作家:吉武輝子さん
1931年兵庫県生まれ。
著書に『女人吉屋信子』『炎の画家三岸節子』(文藝春秋社)『置き去りサハリン残留日本女性たちの60年』『ひとりの老後を心楽しく生きる方法』(海竜社)『「私」が「わたくし」であることへ』(パド・ ウィメンズ・オフィス)その他多数。
自らを「病気のデパート」というほど難病を抱え、当日も酸素ボンベ持参。ところが公演中はこれをはずして、体の底から叫ぶがごとく語り続けた。ユーモアを交えた語り口に、爆笑の場面も。
こんばんは。吉武輝子です。
今日は、「病気にはなっても病人にはならない」、このテーマで話をしたいと思います。実は、私は30年間病気のデパートのオー ナーとして門戸をはって生きてきました。もともとは膠原病なんです。膠原病にもいろいろありますが、私はその中でもシェーグレン症候群といいまして、胃液、唾液、体を潤す体液が自分で作れない。
特に呼吸器が狙われて、右の肺は3つ部屋がありますが、その周りが乾いてしまって、自然気胸で3つのうちの2つと2/3を取ってしまったんです。
去年の参議院戦のときに、東京と北海道の両方の候補者の応援で、行ったり来たりしていたら、その元気な肺に、カリニ菌が巣くってしまって・・。
昔は亡くなる方が多かったんですけど、医学の進歩で、とうとうどの肺も死んでしまいましたが、目下この酸素ボンベのお世話になって生きています。 私は30年問、病気のデパートのオーナーとして門戸を張って生きていますが、そのデパートの社是は、「病気はすれども、病人にはならない」。この社是をどうしたら実行できるかお話しますu第ーカ条「おしゃれを大いに楽しむ」。もし私がよれよれの洋服を着て、この酸素ボンベをしょぼしょぼと引っ張っていったら、誰もが、「可哀相な可哀相な輝子さん」と病人として見るに決まっているのね。それで、私は自分の家の壁に姿見の鏡を置いてもらいました。そして若さや美しさを引き出してくれる洋服を選んで着る。
ありがたいことに、若いときは体の中に若さが埋まっていますから、派手な色やこってりしたデザインの洋服はだめなのね。 ところが70代の後期高齢者は、中に若さがないので、色彩の鮮やかな洋服、フリルいっぱいのデザインの洋服は、むしろ元気や若さを引き出してくれる。 だから、私は鮮やかな色の洋服をあえて作って、出かける前には姿見の前に立ちます。洋服を着替えて、鏡に聞く。「どう?」。鏡が「うん、似合うと」と言うと、「よし!」と言ってこの酸素ボンベをひっぱって歩いていく。
この酸素ボンベは、もともとはブルーとフチが黄士色の、実に事務的な色の袋に入っていたのね。それでは、どんな服を着ても合わない。そこで考えた。友達にこの酸素ボンベの袋用のお洋服を作ってください、と頼んだら、なんと仮縫いを2回して、 7枚の酸素ボンベ袋用のお洋服を作ってくれたの。実は、これはパーティ用です。
いろんなとき用に、酸素ボンベもお洋服を着替えさせて、どうだ、似合うだろう、と出かけるんです。
第ニカ条「ハードルの設定を高くする」。 昔、ドイツの博士の論文を読んでいて感銘を受けたのは、「人間は骨であっても肌であっても、年と共に退化していく。だけど、うれしいことには、学習能力というものは使えば使うほど、どんどん活性化していく」。 この本を読んだときに、60代70代はこっちのもんだ、どいう自信が湧き出てきたの,というのは、今日とてもありがたいのは男性と女性が2:3、ちょうどいい程度に混ざり合っていなこうやって皆さんを見ると、ほんとうにカッコのいい男性、美しい女性がいなですけれど、一人一人を見ていくと、ーロに女といってもみなさん全部、お顔立ちが違う、お名前も違う。男性も、やっぱりお顔立ちが違う、性格も違う。ということは、ひと口に女といってもオギャーと生まれたとき持って生まれた個別の才能は、千人の男がいれば千通り、1万人の女がいれば、1万人の違いがある。人生50年時代は、やっばり男の人は一家の経済の大黒柱、女の人は子供が生まれたらお母さんという社会の要求する役割に、がんじがらめになってきたのね。
どんなに個別的な才能に満ちあふれていても、それが、社会が要求する役割と相反するものであった場合は、切捨てられていたわけですから。
みんな自分が個別的な素晴らしい才能を持っているのを知らないまま、死んでいくのが、人生50年型の男と女だったのね。ところが、人生100年時代。
倍生きられる時代になった現在は、もう女の人は子供の数が少ないので、早く母親の役割が終わってしまう。男の人も60代以上は定年を迎えて、男も女も、〇〇子、 〇○夫という固有名詞をもって個人として生きる歳月が50年近く延びたわけです。だから、60代以上は本当の人間の時代なのです。70、80代は人間の旬の時代。自分の持って生まれた個別的な才能を花開かせながら、60オになっても70才80オになっても、わたしゃあまんざらじゃないぞと思えるのね。
自分が肯定できると、他人が肯定できるじゃない。他人が肯定できると、どんどんいい友達が増えて、人もちになっていく。私は、69オで神楽坂女声合唱団に入って、歌手デビュー。73オでミュージックベルの奏者たらんと志して練習を始め、77オの喜寿で絵本作家としてデビュー。そのあとに筆の禅宗、筆禅道というお習字にも参加するようになって。そしてそのお習字の師と二人で2年後には東京駅のギャラリーで二人展をやろうという約束までしちやったのね,
去年、竹下景子さんたちと朗読と語りの会「7人会」をスタートさせて、今年の10月3日には山形の庄内に講演に招かれているんです。
面臼いことにね、ちょっとハードルを高くして飛び越えると、なぜか生命力がウワーツと燃え上がっていく。
昔から、平らな道というのは楽だけれど坂を登って峠に立つと景色がガーッと変わるじゃない。それと同じように、ハードルの設定をちょっと高めにしてそれを飛び越えると人生の形式がわっと変わって、うん、私、まんざらじゃない、と自己肯定する。それが生命力ヘのつながりになって、生きることが弾むように楽しくなってくるんです。
もう、60オ過ぎたら本当にこっちのもの。神楽坂女声合唱団は、料理研究家の小林カツ代さんのお誘いで入ったんです。大きな声で言えないですが、私、すごいオンチ。女学生の頃、ミッションスクールに入っていまして、必ずクリスマスの前はハレルヤコーラスの合唱のお稽古が始まるんです。あれは2年生くらいだったかしら、我ながらうまいなぁと思ってみんなと一緒に歌っていたら、30代くらいの指揮をしている女の先生が「吉武さん」と呼ぶわけ。
「吉武さん、ご挨拶に回ってください」つて。私はそのとき、挨拶と歌と両方やると思って、喜びで胸がドキンドキこすると先生が「最後までお聞きくださいとご挨拶して下手に退場して下さい」と言うの。それまで言われれば、自分に歌うことに難があると気づくじゃない。だから、私は子供が生まれた後も、声が響いてうまく聴こえるお風呂場でさえも、子守唄を歌ったことがなかったの。
それなのに、小林カツ代さんが私に「輝子さん、あなたは朗々たる声を出すからアルトで門戸が張れると思うわ」と言ったわけ。 そうかいな。そうなると眠れなくなっちゃった。合唱というのは、うますぎてもいけないけれど、ヘタすぎてもいけないんです。
友人に電話してどうしよう?と言ったら、「半世紀も歌ってないんじゃ、のどがさび付いているのも当たり前よ。合唱の稽古までに3週間あるなら、その間にサビ落としをしよう」と。
1回も休まずに友達のところに通い、おかげさまで、3週間後はじめての稽古に出たときは、音程はともかく、声は出たんです。その12月に初めてのディナーショーがあった。ちょうど合唱団に入った年の一月前に夫が急死したんですね。だから、まだ喪が明けていない。だけど私は、70歳に近いコシノジュンコさんが作ってくれたドレスを着て、15曲の歌を歌ったんです。その時に娘夫妻を招いたのね。歌い終わったあとで、娘が控え室にツッツーときて、「輝子さん、輝子さん、うちの未亡人が一番楽しそうだったわよ」と言うのね。
本当にありがとうね、と涙をふっと流さんばかりの顔をしたときに、私は子供がひとりふたりの時代の、子供が抱える親への想いが迫ってくるような気がしました。
夫の母は、12回も身ごもって9人の子供を産み育てましたが、時々私に「お腹の軽いときがほしかったわ」とか、「私は何の能力も才能もなくて、子供を産んだり育てることしか出来ないのよねJと言っていました。その度に、私は「出来ないんじゃなくて、させてもらえなかったんじゃないか、すばらしい能力才能を死蔵したままじゃないか」と思い、教えられることが多かったのね。
義母は、9人も子供がいましたが、今のようにひとりふたり時代は、子供全員が親子介護の当事者なんです。
夫婦どちらが先立つかは、神のみぞ知るです。どんなに仲がよい夫婦でも、ワンツウスリーで一緒に死ねるわけじゃない。
私の友人なんて、怒って私に言う。「ご飯を食べていると、夫が必ず先に死ぬな、先に死ぬなというの。だけどそれは愛からではなくて、身の回りの世話人として先に死ぬなと言うわけ」。ひとり息子、ひとり娘の嘆きは、身の回りの始未ができない父親が残された場合ね。 どんなに能カ・オ能があった人でも介護が必要になると、その妻から離婚したいという相談が結構うちにも来ている。
男の人も女の人も、60オからは自立して、且つ優しく依存する。そういう人間にならないと、次の世代の人生を食いつぶしちゃうんだなあとしみじみと教えられた想いがするのね。
第三カ条「医者と厚い信頼関係を結ぶ」 私はいま、ひと月に1回は膠原病の検査、ふた月に1回は呼吸器科の検査、三月に 1回は大腸ガンの検査。しょっちゅう病院通いをしているのね。そのどの医者とも、私は誠によい関係を結んでいるの。面白いことに、信頼関係が相互に成り立っていると、どちらのモチベーションも高まってくるから不思議。この医者、本当に大丈夫かね?なんて思いながら座っていると、そういう患者の思いはかならず医者に伝わっていく。医者の方も、こんな患者の面倒を見るのは嫌だなと思うと、どんどん医者の技術知識がダウンしていくのね。
だから、絶対に医者と厚き信頼関係を結ぶということが大事。患者もお医者さんも両方のモチベーションが高まって、生きる力というものが育まれていくんですよ。
特に、大腸がんの先生は、しょっちゅう電話をかけてくださるの。「あ、元気ですね」って。「元気ですよ!」と応える。
私の大腸がんは、3期か4期の末期に近いくらいだった。抗がん剤治療をするというとき、私は聞いたの。「何もしなければ、再発率は何%ですか」。すると「30%です。抗がん剤を打ったら生存率は26.4%です」つて。だったら、体力を守ったほうがいいに決まっているじゃない。
だから細かく検査に通って、出てきたのを見つけたら切ってもらう。酸素ボンベを使うようになって、どんどん呼吸器官が低下しているので、今度ガンが見つかったときに、全身麻酔がかけられるかどうか、大きなクエスチョンマークだけれど。けれど、そうなってなければ分らんことに、グジュンコグジュンコ考えたっていたし方ない。だから、私はなったときにやろう、という腰のすえ方をして、そのお医者とつきあっているの。
第四カ条「自分が役立っているという実感の持てる場所に進んででかけていく」。 これが「病気になっても病人にはならない」ための四カ条め。
私、5月15、16、17日は北海道の札幌、旭川、函館に行くんです。ところが、この酸素ボンベを飛行機に乗せるまでの手続きが大変なの。アメリカの飛行機では絶対にノーなのね。これは立派なテロの武器になるから。火をつければ一発でぶっ飛びますからね。
ヨーロッパぱ路線ごとにOKでも、そこの航空機の酸素ボンベを買って、おまけにその酸素ボンベを座らせる座席ももうひとつ買わないといけない。だから、ひとりで行くより5倍くらいの費用がかかっちゃう。
日本の中でも、酸素ボンベを載せる場合の手続きも大変だし、飛行場に行ったときの検査も大変なの。おおごとなのよ。
でもね、私、その手続きがどんなにしんどくても、その北海道の話をなぜ引き受けたかというと、北海道で初めて「おんな九条の会」というのがつくられて、その立ち上げの集会の講師に招かれたのね。
だから、足つきであごつき。但しギャラなし。だけど、こういう会に行ったときには本当に自分が役に立っているんだなあ、と実感がとってもとっても強く湧き上がってくるわけ。
そうすると、まだ私は人の役に立って生きている、まだまだ生きねば人さまに申し訳がないという土壇場力みたいなものが盛り上がってくるのね。今日の講演の依頼があったときも、よし、今度60カラットになろうとしている人、70カラットになろうとしている人たちが、人生 100年時代に主役になるのは悪くはないなああとね。生きるのが弾んで楽しまれるような会になることができたら、少しはお役に立つことができるのかなあ。 役に立っていると実感させていただける場所を提供していただいたことに、ありがとねといいながら鏡の前で赤い洋服を着て、どう?と鏡に聞いたら、「似合う」というので、よし!と今回は出かけて参りました。
ともかく、30年間私は呼吸器障害、大腸がん、もろもろ病気のデパートのオーナーとして門戸を張り続けてきております。
ですから、どうぞ今日お話しました「病気はするけれど病人にはならない4か条」をご信用遊ばして、どうか実行してくださいますことを心から願います。
役立っている場を与えてくださった皆さまにありがとうのお礼を申し上げたいと思います。
「50代からの食べ心地」
料理研究家:高城順子さん
料理研究家。
NHK「きょうの料理」のビギナーズコーナーの高木ハツ工おばあちゃんのモデルであり、監修も行っている。日本各地のみならず世界中を食べ歩いて各国の味に詳しいが、なかでも中国へは数え切れないほど出かけ、あらゆるものを口にしてきた。
健唆家であり、食欲不振とは無縁の胃袋の持ち主だが、きょうは60代へ向けての食べ方を伝授。
私は50カラット会議を立ち上げるときからのメンバーなんです。ある日、これにサインとハンコをと言われて、わけもわからず発起人欄にサインしたのが始まりでした。
私は、食という分野で生きているのですが、 50カラット会議レポートを読んで、いろんな考え方やいろんな職種の方がいらっしゃるということで、みなさんの生き方を知り、自分自身の生き方もこれからどうしていけばよいのか、わかってきたような気がします。
10年間、ありがとうございました。そして、これから先も、みんなで50カラット会議を盛り上げていければいいかなと思っております。きょうは、これからも輝いていくために、食のうえではどうしたらいいのか、というお話をしようと思います。
わたし自身は、なるべく自分の体の声を聞くようにしています。50オを過ぎてからは自然体でいるように心がけています。自分の体は自分がわかっていて、酸っばいものが食べたいな、サラダのおいしいものが食べたいなというのは、きっと疲れていたり野菜が不足していたりするのだろうと思う。先ほどのお話のように、私もひとりで生活をしているので、世話にはなれないし、なりたくもないし。
そのためには自分の体をどうやって維持していくかということに本当に心がけなければいけない。そのためには食べることが一番大事ですね。
生活の中で大事なのは、快眠・快便・快食だと思っていますが、この中で私は快食のお話をしていきたいと思います。
■快食に大切なのは、まず「知る」こと。
〇その1 自分の胃袋の度量と消化力
何を知るか。もちろん食べ物の栄養を知ることも大事ですけれど、50オを過ぎてくると、自分の胃の大きさ、度量を知るcどのくらい 食べられるのか、これ以上いったらもうだめなのかを知る。若いときは、朝昼夕食があって、おやつがあり、夜食があっても全然胃の大きさなんて感じずに過ごせますが、これからは自分の胃がどれくらいの度量と消化力があるか、どれくらいの力があるかということを自分で知っておくということが大事です。
〇その2自分の体に必要な栄養と成分
次に、いただくものが自分にどう役立つのか、食べるものを知るということ。
50代から60代の人に必要なもので、まず必要なものはカルシウム。カルシウムを摂るのはそんなに難しいことではないのですが、乳製品、牛乳を必ず摂る。小魚もあるし、青菜も、海草もあります。つぼみの野菜でブロッコリー、菜の花にもたくさん含まれているのですが、やはり乳製品が一番効率がいい。
乳製品を規則的に朝摂るようにするとかね。私は、朝ヨーグルトとチーズは必ず食べるようにしています。カルシウムを心がけて摂っていただくことがとても大事です。
その次に、食物繊維ですよね。
これは快便にもつながってくることですが、食物繊維をとると体の中のコレステロールなどの余分なものを体外に排出していく働きがあります。何に含まれているかというと、雑穀だとか玄米だとか、芋類、こんにやくだとか野菜類にはたくさん含まれています。きのこにも含まれているし、おからなんていうのも大豆のしぼりかすですから食物繊維がたくさん含まれているのです。あと、女性の体に必要なのは、イソフラボンですに閉経後に女性ホルモンがぐっと減っていきますから、イソフラボンも摂る。
イソフラボンはご存知のように、大豆と大豆製品に含まれています。ただ豆乳を飲めばよいと思っている方もいますが、私は食事の中に取り入れてほしいと思います。湯葉もあれば、納豆もあれば、いろいろありますよね。がんもだっていい。それを食卓に登場させる。お豆腐もそうですし。豆乳を飲むと思っていると別物になってしまうので、みそ汁に豆乳を入れてみるとか、食事の中に取り入れていけばいいのじゃないかと思います。
高齢になればなるほど、消化できなくなるから肉類を減らしてしまう。そうすることで、たんばく質不足の老人がとても多くなっていくんですねだから80代から90代は、どうしてもたんばく質が不足する。年をとったからもうたんぱく質はいらないということはない。お魚でもいいし、肉類でもいいですし、大豆製品でもいいので、たんぱく質を摂るようにしたい。週に1回はお肉だって食べてみようということが大切です。
それで、お肉を上手にとれるお料理をやってほしいということで、私も本を1冊書きました。『老化速度を遅らせる適齢食』(世界文化社)
その他にも、もちろん生きていくためにはビタミンCを含んでいるものとかも大事ですが特に心がけるものはこういったものです。
○その3 自分が食べたものを覚えておく
そしてまた、自分で食べたものを知る、覚えておくということも大事です。
今日食べた1食の中に何が入っていたかを覚えておいて、次の1食で不足している分を補ったり、1日でうまく調節をする。脂っこいものだって食べたいですよね。でも天ぷらを食べたら夜は油のものはよしておこうかな、昼に食べたら、夜は油ものはやめておきましょうと調節します。
例えば、今日はここのパーティでたくさんいただいたから、次の日は控えめに、質素でいいわ、納豆ごはんでもいいわ、というくらいの感じ。昨日ごちそうだったから、今日は控えるという、3日間のトータルで考えます。自分の食を知っているということが、上手に食を摂るコツになります。
朝はだいたいご自分のペースというものがあるので決まっているでしょうから、お昼に何を食べたか、夜に何を食べたか。昼夜をしっかりと把握する。そうすれば、だいたいバランスのとれたお食事ができます。
専門家でない限り、何を何グラムなんていうことはとても難しいのと、食は楽しまないとお食事ではない。これは動物と人との違いなんですね。
食事というのは文化ですから、楽しまないとだめですが、楽しんでいただいたら、次の日はちょっと考える。会食するスケジュールも、次の日も会食という風に重ならないように立てるようにします。
自分を知っておいて、食べたものを知る、ということがとても大事じゃないかと思います。
〇その4 大切なもうひとつは、「楽しむ」こと。
食は人と人とをつなげる場でもありますよね。
楽しく食事をすれば、ちょっと親しくなれてお食事のことを印象的に覚えています。昔から「同じ釜の飯を食う」ということばがあるくらい、食べる場面は人と人とのつながりを強めてくれる。楽しんで食事をするのを心がけるということですね。
50代を過ぎると、みんな皮膚にシミが出たり、髪も白くなったりして、鏡をみるのもいやだわとなりますよね。
実は、シミが出た肌と体の中は同じ。境目は分りにくいけれど、つながっているんです。胃袋、食道とは同じ皮膚でつながっているので、ここにシミがあれば内臓の胃壁もちょっとくたびれています。
その胃を労わりつつ食べるには、楽しく食べることなんです。
にこにこ食べるということ。これが胃を気持ちよくさせます。胃を快適に楽しくさせるということがとても大事なことになります。
だから、楽しんで食事をする、人と楽しむ。ひとりのときでも、楽しんで食べてもらいたいなと思います。
私は、料理研究家なので何でも研究。ひとりで鍋をやったりします。時間がないときは、野菜が一度にたくさん摂れるのは鍋なんですよね。私は、これも入れちゃうかな、これもついでに入れちゃうかな、ああ、こんな味になっちゃった、と楽しんで食べるんですね。
食べているときに、あそこで誰々と食べたわ、と楽しい思い出が浮かんだりします,私たち、人生のキャリアを積んでいますものね、だから、いろいろな思い出が引っ張り出せる。ひとりでも、今日の素材はイソフラボンがいっぱいで明日の朝はツヤツヤかしら、なんて楽しんでいます。
〇その5 ゆっくり、噛んで味わう。
味わっていただくということ。味わうということは、よく噛むということになるんですね。
なかなかダイエットできない、という人がいますが、やっぱり食べることが早い人ですね。食べるのが早いということは、急いで飲み込もうとしている。
味わうということはゆっくり噛むことなのです。だから、噛んでいると、ゆっくり味わえて、満腹神経も刺激して、ある程度のところで、もういいですよと教えてくれるのですね。
噛んで味わうことと共に、楽しんで味わうことがあります。季節になれば旬のものを味わう、香りで味わったり色で味わったり。
〇その6 無駄喰いをしない。
知っていただいて、楽しんでいただいて、味わっていただく。これが3つの大きな原則のような気がします。
体の具合が悪くなったら、栄養士の方やお医者さんに聞いて、自分は何が足りないのか、何が必要なのか知ることが必要です。 何も不都合がなければ、自分でコントロールする。難しいことは何もないんですね。自分の胃の最を知り、栄養を知り、楽しんで味わっていただくということが一番大事だと思います。私達の胃は、いままですごくキャリアを積んできています。鯛や平目の舞い踊りも、ステーキも若い頃にご馳走を食べてきましたよね。酒池肉林ならぬ酒池食林で、たくさん食べてたくさん飲んで味わってきていますから、その味わったものをよく知っている。最近、自分に課しているのは、「無駄食いを
しない」ということなんです。
知らず知らずのうちに食べちゃう、ということをなるべく避けています。そのかわり、食べるときは食べる。
この前台湾に行きまして、朝はホテルで好き勝手に食事をして、それも中国式なのであれは何かしら?なんて食べて、そのあと30分後に「鶏飯」という蒸し鶏のごはんを食べて、お昼はきちっとセットされている郷士料理のコースをいただいて・・。そのあと台湾スイーツのお店ですごい量を食べて。夜は夜で、有名店でツバメの巣ありフカヒレありの、すごいご馳走。4泊5日でしたが、私はいつもしっかり食べました。そういうときは、楽しくみんなと一緒に食べます。
ですが、飛行機に乗ったとたんに無駄食いはしない。機内食は食べず、お茶だけ。
やはり旅から帰ると2kg くらい増えていますい帰ってから絞り込むことにしますから、人と会うときはお店にも行って全部食べる。断ることはしません。いまダイエットなのでなんて断らない。天ぷらが出ようが何が出ようが、ちゃんといただいています。
ひとりのときにコントロールする、無駄食いをしないようにします。
3月末に帰ってきて、コントロールして今日に間に合わせたかったんですけど、まだ1 kg 落ちてない。
やはり年齢が進むと、絞り込みに時間がかかってくるので、なるべく食物繊維やカルシウムに気をつけながら、絞り込むようにしています。これまでは、お菓子をいただいたりして、あるから食べる、ということが今まで多かったような気がするんです。もうそれも、フタをきちっとして、高いところにあげておきます。目の届かない所に置いておく。会食や旅行に行ったときに、みなさんとの食事の場面で、私はダイエットなのでこれはいただげません、というのはやっぱりルール違反でしょ。いまは食べられないものが出てきたり、食べすぎだなというときには、ジップロックのようなものをハンドバッグに入れて行き、持ち帰ることを心がけるといいでしょう。私も袋を持ってはいるんですが、入れることなく胃袋の方に入れてしまって・・・。いつも袋に恥かかせています。私は、桜が大好きで台湾から帰ってすぐ京都においしいものを食べに行きました。そのとき、しだれ桜がとてもきれいでした。
ご一緒した方からのお礼状に、とてもよい言葉がありましたので、ご紹介します。
「桜は樹齢などにまったく無頓着に、可憐に、のびのびと、あるいは広々と、あるいは高々と、思い残すことなく八方に枝を伸ばして広げ、雅に、艶やかに、いろいろな桜色に枝の先まで咲き溢れていた京の桜に感じ入りました。あのように生きていたいものだと思いました」というのです。
私も花が大好きで、山の花、野の花、すべて宇宙の中に咲き溢れていると思います。 これからも50カラット会議の方とみんな一緒に、咲き誇っていきたいと思います