50カラット会議

31号 60代になった!

2003年1月 発行所 「50カラット会議」

50カラット会議レポート 

31号

 

60代になった!

 

50カラット会議ができた2000年春は、50代の中核を担っていたつもりだったのに、「気がつけば60代」を迎えた人たちが集まりました。
ひとことで言えば、名実ともに、誰のものでもない自分の人生と対峙の時を迎えたのが60代。自分の実力と個性だけで、どこまで人生を楽しめるか試行錯誤する日々が始まりました。今日はどこまで行ったやらと放牧状態だった夫も、気がつけば視界内で暮らし始めています。子供が飛び立った家の空部屋は、夫と共同で使うホームオフィス化計画やホームステイ受け入れ案が検討中だったりします。
まだまだ人のために役立つ自信があるし、何と言っても「働く楽しさ」を手放す気にはなれない人たちの、発想の転換ぶりをお届けします。

蛇の道はヘビに聞くシリーズ㉘

参加いただいたのは、イタリア食文化やハーブの研究家でもある北村光世さん、本業はグラフィックデザイナーながら多摩ニュータウンの広報役として多摩新聞社を続ける佐々木道子さん、アートディレクターの塩沢圭子さん、NTT-MEを退社後ライフプランナーとしてリーダーシップを発揮する森田政江さん、伊勢丹研究所退社後に早稲田大学で都市デザインの研修生として学ぶ渡邉和さん。みんな、再稼働名人たちです。

 

目次

   1.「名誉現役」とでも言いましょうか。 個人として、社会とつながる努力が始まりました。
2.気になるのは、暮らしの相棒である夫。体が元気な内に、生活技術を身につけて欲しい。
3.体の変化にバタバタしていた50代を過ぎて、 体との付き合い方も上手になりました。
4.仕事のテーマは、感動です。自分だから出来ることを選んで、大切に続けていきたい。
5.男性たちも、社会的人間でい続けてほしい。それぞれの存在感を、日々の生活に発揮して欲しい。

 

1.「名誉現役」とでも言いましょうか。

 個人として、社会とつながる努力が始まりました。

〇まだ、人のために役立つ自信がある。持っている能力や財産を活用する方法を探したい。

〇時間にゆとりが出来た。 周囲のペースにはめずに、自分のリズムで暮らし始めた。時間は、自由裁量

〇家に空白のスペースができた。子供が独立し、親を送った家には、空き部屋ができた。活動拠点を家に移動しようと検討中。

➡人の交差点になりたい、人が交差する場所に身を置きたいという想いは強い。

出会ってきた人たちと新しい交わりが始まる。

仕事をし続けた間に出会った人たちの中から、終生の友人を得た人たちも大勢います。50代には、まだまだ現役と走りながら、その先の人生も視野に入れていたという人たちは、暇をつくっては、同好の士と交じあう機会を作ってきました。イタリア食文化を仕事にしてきた人は、イタリアをテーマにして働くことで、業種を越え、世界中の“イタリア好き”な人たちと知り合い、それが、イタリアに日本とイタリアの伝統文化交流センターをつくる夢につながりました。今回の会議には不参加でしたが、料理研究家の中には、ご自分の住む町に、「友人や近所の方が、ランチを楽しみに立ち寄る家」をつくりたいという計画を持つ方がいらっしゃいます。その計画を知る人たちの中には、「それならわが家の一部を提供する」と申しでる人や、「手伝う!」と名乗り出る人もあります。
子供たちが独立したり、親を送った家は、確かに空白ができて、家の使い方にも、今までとは違う発想が必要になりました。60代になると、企業や組織の中から退く人も多いのですが、のんびりするぞとはいうものの、人の役に立つ爽やかさを味わい続けたい気持ちを生かせるのが一番。
いよいよ、個人として社会とつながる努力が始まったこの頃です。

参加した方たちの声

□ 次から次へ新しいことに挑戦してきた人たちと、次の楽しみへ。
仕事柄いつも新しいことに関心を持ってきたアートディレクター塩沢圭子さんには、知り合った“世界中の挑戦者たち”と、パソコンでつながっていける楽しみがあります。「けれど、仕事だけでなく、人生そのものに、これまでと全く違った考え方をする練習をしているところ。例えば、ディスカバリーチャンネルを見ていて、魚の雄と雌がいて卵が生まれるという話の中に、雄が雄と出会うと片方が雌になっちゃう種類がいるっていうのが出てきた。そこで成りたっちゃうわけ。その時、そういう考え方もあるなぁと思ったのね」とおっしゃいます。自分の能力や個性の役立ち方も、これまでとは違った役回りも可能なのではということでしょうか。

□いかに生きるべきかを考える日々。青春時代のように。
「20歳前後に、こんな風に人生について考えた。今度が2度め」という発言は、グラフィックデザイナーで、多摩新聞社社長でもある佐々木道子さんです。全国3300の市町村出身者が住むという多摩ニュータウンで広報活動をしてきた佐々木さんは、多摩ニュータウン住民の高齢化に取り組むようになりました。 「お年寄りと付き合うようになって、いろいろお話を聞くようになったのだけれど、それぞれの方の気持ちを受け入れられるようになったと思う。自分の中に共感ができたのでしょう」と、いまだから出来る仕事だと確信しています。それに、「50代には、あれも欲しい、これも欲しいと欲もありましたけど、今はこれも要らない、あれも要らないになりました。モノを持たないということの気持ち良さに目覚めたのね」とのこと。
もしかしたら、いつか必要になるかもと手を出すことがなくなって、いつのまにか、生活がシンプルになってきている60代です。

□アナログな暮らしを楽しみたい。
企業でITの可能性を追い求めていた森田政江さんは、退職した現在、在職中に会得したライフプランの知識を生かして、プランナーとして指導者になりました。「便利で正確で迅速でというITでしたけれど、こと人生は、アナログがいいかな」と笑います。
何もかもが計算どおりには進まないし、生活は、ゆるやかな方が心が安まります。「湘南ボーイズの慎太郎に、『老いてこそ人生』なんて本を書かれちゃうと、自分と対 話することの大切さを感じちゃいます。けれど、今これが一番よさそうということを選択していれば、結果オーライみたい」と、私生活はすっかりアナログ化です。
「住む家についても、自分が死んだらどうするなんてこと、考えようとしても面倒さが勝って、そのままです。死んでしまったらどうでもいいのだから、自然に落ち着くままにしておこうなんて思ったりします。何もかも準備万端ではない暮らしもあるのかな」。60代は、50代に比べてかなり現実味を帯びる「死」についても、実はまだまだ。その前に通る人生への対応で、大忙しなのでした。

 

2.気になるのは、暮らしの相棒である夫。 体が元気な内に、生活技術を身につけて欲しい。

よけいなお世話かも知れませんが、男性たちの「個人生活」課題です。

私たち自身は、体も心も安定期。暮らし方のイメージも行動計画もほぼ決まりました。

気になるのは、同輩の男性たちです。60代の男性たちが元気で幸せでいてくれないと、気になってしょうがない。自分が役立っていないと感じる人は、そう思わない人に比べ、3.5倍の発症率とか!

耐性の弱い男性たち

□ うつ病になり易いし、自殺も多い。
「男性のこの頃の井戸端会議、聞いたことあります? 20年前に女性たちが話していたことを言ってるわよ。お宅はいいね、奥さんが理解があって…って言うの。 どっかで聞いた話でしょ!」 「ビジネスマンのうつ病は、話題ですね。女性だって会社に行けば、互角に仕事しているのに、女性が仕事でうつ病になるって聞いたことない」 「大人になる段階が、女の人のようにはっきりしていないから、バランスよく大人になりにくいのかも。大人になるのを忘れちゃうくらい忙しいかったのかな」 「男の人は、子供の頃から、大事に育てられ過ぎたのね。運動会で、お母さんが手を引いてゴールなんていう風景があるんだって!やり過ぎ!勝ち負けも体験しないし、誰かが文部大臣賞もらって、悔しい想いをすることもない教育じゃもっともだけれど、会社で何か失敗すると泣いてる! 将来的にも暗澹たる状況がありますね。男の人は母に守られ、会社に守られて、自分のことを考えずに生きてきたのね」。

□ 家庭に帰っても、居場所がないかも。
「日本の高度成長期は、男は外で働いて、家族と会話する時間もなかったと言われてきたから、奥さんも仕事のためと我慢して、夫とのコミュニケーションを犠牲にしてきたのね。不健康で、不幸な時代だったと思う」 「女性が働いてきた家庭では、夫も家庭の中のことを、自分の生活としてやらなくちゃ
ならなかったから、それなり共通の体験があったけれど、専業主婦は辛かったかも知れないですね。近所に集まって、おしゃべりで鬱憤はらししていたという話を聞きましたよ。そんな家に夫の居場所は、あろうはずがないですもの」とはいえ、夫婦間の会話は、一朝一夕で回復するでしょうか。
「夫婦とも仕事をしていて、いざ夫の方がリタイアした友人の話ですが、3か月フランスに家を借りて、夫婦水入らずの生活中なの。朝から晩までびっちり一緒の生活を初めてやって、音を上げてる。もう参った!って、メールがきています」のだとか。どうなるのでしょうか。

□ 自分の世界で、悠々としていて欲しい。
「多分、運転手付きの車で送迎してもらってたんだと思われるような人が、駅で切符が買えず、呆然としている姿って見たことない? 突っ立っていればよかった人って、自分が使いこなせないのね」
「だから、80歳90歳になって、自分の研究を続けているなんて人は悠然としている。和歌山大学で行った健康人の追跡調査で、スタートラインでは同様に健康だったのに、11年後、生きがいがないと答えた人の疾患率は、生きがいがあると言った人の4.9倍だったそう。自分へのこだわりを持っていないとダメなのね」。 60代になると、自分が生きてきた人生を自覚する日常が待っているのです。駅の切符売り場で、女性が迷うときは、ワーワー騒いでるけれど、男の人は騒がない。「分からない!分かるようにして!」と騒げるのは、私たちだけのようです。60代の暮らしやすさづくりは、女性たちの役目でしょうか?

3.体の変化にバタバタしていた50代を過ぎて、 体との付き合い方も上手になりました。

一生のうちで、今がいちばん健康と言い切る人も。  集中力、記憶力、代謝力、体力は低下したが、  あわてずに、相応の暮らし方で、体管理を考える。

〇年々、年をとるのを実感することに出会う。1年前の写真は、確かに若い。子供の頃から父親似と言われてきたのに、最近、記憶に新しい母親に似てきたと思う。

〇予想外の体の反応には慌てないことが肝心。疲労、けが、肥満等からの回復にも時間がかかる。1秒を争うような行動はかたく慎む。気持ちに体が付いていかない。

〇60代後半になると、体には積極的なメンテナンスが必要になる。健康だったのに、緑内障、白内障、歯槽膿漏の兆候に驚かされる。定期診断が欠かせなくなります。

 更年期にあたふたしたのはウソのよう。

あのときはびどかった」と振り返る人、「意識せずに過ぎました」と言って羨ましがられる人と様々でしたが、50代の体は、体調体力の変化期であった
ことは共通しています。徹夜をすれば、翌日の頭は使いものにならず、高いヒールの靴で歩き続けた日の後は足の痛みに悩まされ、いつか忍び寄った老眼にドキッなどなど、その例にはいとまありません。
それが、最近、体が気にならなくなりました。というのも、あれこれの変化に慣れたせいです。口が悪い人は、「老いることに慣れたのね」と言ったとか。でも、そうかも。最近、何か起こらない内に止めておくように、自分に言い聞かせているような気がします。上る階段はタッタッでも、下りるときには慎重になってもいます。それが自分ということに慣れたのです。気力も体力もなくなった脱力感に悩んだ更年期も、あの時の自分って何だったのだろうと不思議な気持ちの安定期です。

 「健康」って、ふつうに暮らせる体ってこと。

□ 白髪ごときで、ワーワー騒がなくなりました。
初めての白髪発見を、森田政江さんは今もはっきり覚えています。 「鏡を見ていて、白髪が1本ピッと立っているのを発見したとき、本当に心臓がズキ  ンとしたのを覚えています。けれど、その内1本2本じゃなくなって、ズキンとはしなくなりました」。
白髪だけではありません。顔の形も、姿勢も、肌の様子も、いつのまにか静かに受け入れている自分に気づきます。緊急手当て!と、商品探しをしたあの頃に比べると、これで行こうと自分流の若々しさへの努力も定まりました。

□ まわりに、ねん挫、骨折のうわさが増えました。要注意!
昨年の秋、ヴェトナムに視察に行って、足場の悪い工事場で足を滑らせたのは、工業デザイナーの渡邉さんです。「いつもの調子で階段をササッと下りようとしたら、ガクッとやっちゃった。日本に帰って診てもらったら、骨折とのこと。それも、5週間かかりますと言われたのに、実際は7週間かかりました。年のせいかしら?」と歎きます。確かに、そんな話を多く聞くようになりました。森田さんも、「同い年か、それ前後の人が、ねん挫したとか骨折したとか、やたらに聞きますね。そういう話を聞く度に、ムリしちゃいけない、1秒を争って急いではいけないと、自分に言い聞かせています」と、おっしゃいます。だいたい、どこで?と聞くと、家の前とか、ほんの少しの段差を踏み外したということが多くて、アレレです。

□ 探しものは、日常茶飯事。落ち着いていると出てきますが。
記憶力の低下が原因でしょうか。やたら、探しものをしている自分に気づきます。「今までは、主人のものを探していたのよ。それが近ごろ、自分のものを探してる。 これ、ショックですよと悔しがるのは、北村光世さんです。 「例えば、ここに置いたと思ってもないとか、同じものを何回も探してしまう。こんなことは、以前はなかったんです。探しものに時間をさいています。でも、近ごろ慌てません。慌てず、自分の行動をたどると、大抵解決します。これまでは、慌てていたから、慌てれば慌てるほど見つからなくて、しまいには自分がメチャクチャになっていました。けれど、初めはしようがない。いままでキチンと出来ていたことが出来なくなった自分を認めたくないですものね」。

□ 早寝早起きが、身についてきました。
つい興にのって、夜遅くまで仕事にのめりこむと、体はキチンと降参します。 回復力も落ちてきたので、これくらいは平気と高をくくることもしなくなりました。 やれると思って出来ないと、それがストレスになることも、50代で学びました。10時にはベッドに入って、読書もテレビもベッドでという生活は、体だけでなく気持ちの休憩にもなって、次第に朝型になっている60代です。

4.仕事のテーマは、感動です。 自分だから出来ることを選んで、大切に続けていきたい。

損得より、人と関わる楽しさを優先。仕事三昧ができる時間もあるから、これまでには出来なかったスタイルで仕事の感動を楽しむつもり。

仕事で生きてきたのだもの。そんな自分を楽しみたい。仕事をしてきたから知った人の個性や才能と、新しいおつき合いが始まった。クラブ活動みたいな楽しみで力を合わせる仕事です。

オフィスは自宅へ。住まいは至便の地へ。コンピュータ1つで、世界とつながれる時代だから仕事はどこでも大丈夫。但し、人と頻繁に行き来し遊べる場所に住みたい。

時間的な余裕は、文化活動に力注ぎたい仕事を通じて知り合った個性や能力を組み合わせると、思わぬ活動が可能になる。街づくり、ギャラリーづくり、サロンづくり。

自分の関心事をかたちにしようとすると、仕事のネットワークがモノをいう。

現役とはいえ、60代の役割は「名誉現役」。  体力と行動力任せの働き方は、若い人たちに任せたいところです。
企業の中にいた人は、いよいよひとりになって、知識と体験をいかして、相談役的なオフィスを開いたりしています。会社の中にいては出来なかった「好きな仕事」だけに集中する時間を持てたことが、彼女たちを元気にしています。自分の力を生かせる感動がここにあります。男性たちからは、会社を止めたら「一人の時間三昧」が目標という話を聞かされることが多いのですが、50カラット会議では、40代50代につくった同好の士ネットワークで新たな起業という話が多いのです。
もう損得はいい。一人より誰かとの方が楽しい暮らしの一つとして、感動が潜んでいる働き方が捨て難い60代たちです。

暮らしは、一層シンプルになりました。

□ 住まいは、職住接近がいちばん。
「忙しくて、事務所からいつでも歩いて帰れるように用意した小さなマンションが、今は、これからの住まいにぴったりって思っています」とおっしゃるのは、佐々木道子さんです。 「要するに、起きて一歩歩くと台所で、二歩行くとトイレ、三歩で・・という狭い空間が凄く心地よいの。しかも、駅からすぐ。事務所は広々したのを借りて、これからは似たような仕事にいきそうな建築家の連れ合いと、それぞれのコーナーで仕事しているのですが、これでいいと思っています」とのことでした。工業デザイナーの渡邊和さんも、最近は、「いっそ、打合せは自分の家で」ということが多くなりました。
20年前に、お給料のほとんどをローンの返済にあてたという都心のマンションが、相変わらず人と会うことの多い渡邊さんの生活を支えています。
「夜遅くまで働いていた時は、書類抱えて帰る日々対策だったけれど、今は、JRも地下鉄の駅もすぐという立地が、私のコミュニケーション生活に役立っています。人とのミーティングがないと成り立たない仕事なので、終電間際まで、熱中できるのはメリットです」。体力的にも、ずいぶん助かっているとのことでした。

□ 住む街にも関わり始めました。
会社と家とを行ったり来たりの生活に終始していた森田政江さんは、最近、住んでいる街との関わりを持ち始めました。「遠くの親戚より近くの他人というのは、本当です。住んでいる早稲田という街は、商店街が中心になって、住民との街づくりが熱心な所ですが、地元の環境や防災をテーマにした活動に関わって、個人的な生活の場づくりをしたいのです」と話してくださいました。

□ 遠くイタリアに、夢を実現しようとする人もいます。
イタリア食文化やハーブ研究家としても有名な北村光世さんは、「イタリア人から学ぶものが多かったので、日本人として何が返せるかを考えた時、伝統文化の交流だって思った」と、イタリアに伝統文化交流の家を建てた経緯を語ります。 「いつも、今やりたいことを一生懸命やってきただけで、そんなに目的意識があるわけじゃないのです。今回も、たまたま私にも買える値段で気に入った場所があったというラッキーな結果です。場所があるんじゃ、やるっきゃないですよね」と、きっぱりしています。
北村さんの周りには、手弁当で協力すると言ってくれる友人が沢山いらっしゃるようです。すてきな夢を持つ人には、誰だって協力を惜まないのでしょう。

□ 脳のしわがなくならないように、人から刺激を受けていたい。
「顔のしわは増えているけれど、脳のしわはなくならないようにしなくちゃ」というのは、60代からの合言葉です。コンピュータの時代といえども、感動はやっぱり人からが一番です。仕事に潜む感動に惚れた60代たちの原動力は、人でした。

5.男性たちも、社会的人間でい続けてほしい。それぞれの存在感を、日々の生活に発揮して欲しい。

ボランティア活動に参加する。
◇得意のビジネス分野で、知識や技を提供する。
◇60代からの商品ニーズ、情報ニーズを研究し提供する会社のモニター活動に参加する

②先輩としての活動に参加
◇地域の小中学校のクラブ活動で「課外教授」を担当する。科学、経済から釣り、スポーツ、囲碁将棋、大工仕事 他。
◇NPO活動で、ビジネスセンスをいかす。語学や海外生活体験を生かして、海外移住者や在日外国人への生活研修活動もできそう。

⓷家庭で相棒としての暮らし方、楽しみ方を充実する。                                              自分の身の回りのことは、 自分で始末できるようにする
◇料理を学ぶ。
◇住宅のメンテナンス技術を身につける。
◇家庭内イベント、生活行事を、率先して企画運営する。
◇健康管理する。

④社交的生活を楽しむ                                                             趣味や関心事でのグループ活動を行う。
◇住む街への提案グループをつくる。建築家、造園家、都市計画家、デザイナー他。
◇家を開放して同好会をつくる。ランチタイムを楽しみながら、健康的な食事を身につける会など。

 エール(?)送ります。

□ 日本の男性たちは、脆く育てられた?
「ドイツだけではないけれど、ヨーロッパでは、高校を卒業した段階で、1~2年の放浪の旅にでる。それが人生勉強で、自立していく。揉まれて、人に対する細やかな精神も養う。そんなことで出来上がる人間があると思う。けれど、日本の場合、あなたは勉強していればいいのよといった育ち方が主流。
社会に出て脆いのは当然ですね。特に男の人は、学校卒業したら、企業が全力で守ってくれてきたからね」と、北村さん。長年企業に勤めた森田さんも、「最近は、企業も、自立社員、自己責任社員といって会社に頼り切らない人づくりに力を入れているけれど、これまでは、男性は大勢に従うDNAが目立ちました」と振り返ります。

□ 環境で変わるなら、環境づくりしましょうか。
ひょんなことから、ホームステイを受け入れたら、夫がにこやかになったという話があります。「自分からはなかなか変われないのが男の人なのかぁ」と、一同。 ホームステイというのは、空き部屋が出来てきた60代の家では、なかなかいい着想です。塩沢圭子さんも、「私も最近その体験をしました。息子が出ていって、息子の友人で地方から出てきた女の子をしばらくお預かりしました。女の子がお早うございますって出てくると、主人は朝からおしゃれしてテーブルに座っているの。コーヒーがはいってるよとか言って。いいですよね」。何万遍言ってもなおらなかったのに、留学生のホームステイを引き受けたら、下着でウロウロがなおったという例も、お話に出てきました。

□ 男性は傷つきやすい。言葉にも気をつけてあげたい。
「同じ言葉でも、女性の場合は傷つかなくて、男性は傷つくって感じることがすごくある。たいした意味はないのに、傷ついちゃうの。深い意味はないのに、凄く落ち込まれた経験があります。こちらも忙しいと、ついフォローしないで、相手も自然回復を待つしかない。時間があると、それってここいうことって、説明して納得してもらえるのだけれどね」と、男性との気持ちのギャップも話題になりました。それというのも、近ごろ一緒にいる時間が増えたからです。自分の気持ちを表現するのが下手な相棒との生活に、私たち女性は、相手の言葉を引き出す術も、学ばねばなりません。

□ 男性たちは、実は「暮らしの才能」を秘めています。
なぜか50カラット会議メンバーの夫たちは、料理上手です。「初めは、並べるだけだったのに、ガス台前は夫の定位置」という人もいます。帰りは遅いし、帰ってから支度をされたのでは、空腹に耐えかねるという状態が続いた夫たちは、自然に料理を上達させました。「近ごろ、私の腕はにぶりました。料理って、やらないとダメ」と苦笑する女性たちです。料理が上達すると、暮らし方も上手になりますと、検証済みの発言もありました。

 

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