50カラット会議

33号 口下手50代男性たちから妻たちへ 「これからもよろしく」

2003年3月 発行所 「50カラット会議」

50カラット会議レポート 

33号

口下手50代男性たちから妻たちへ
「これからもよろしく」

 

「仕事がおもしろくて、自分の体も家庭も二の次でした」「家は女房のテリトリーと思って、手も口も出さなかった」「働く姿、背中を見て、家族のため
に生きていることは分ってもらえると思ってきました」と、集まった男性たちは、40代までの自分を振り返りました。
50代も半ばになった男性たちは、それぞれに体や家庭からのつけを目前にしています。妻から思いもかけない離婚届を突きつけられ、普段いかに会話のない生活をしてきたかを振り返った人がいます。生きるか死ぬかの大病を重ね、妻の入院を経験して、お互いが、一大事の時に隣にいるという確認をして、夫婦であることを確認したという人もいます。それにしても、どうしてこうもコミュニケーション下手でしょうか。
こんなに妻たちを好きなのに、妻たちはご存知ないのではないでしょうか。人生のゆくえが見え始めた今、男性たちは改めて、妻と向き合おうとして
います。

蛇の道はヘビに聞くシリーズ㉚

最近、僕たち、やっと夫婦になれた気持ちです。

集まって下さったのは、若尾康之さんとその友人たちです。
まだ企業にお勤めで部長職にいる方、今は閑職でマイペースになったという方と50代になってから事務所を独立したインテリアデザイナー、ひとりで貿易会社を始めた方、それに食品アドバイザーの若尾さんの5人です。年齢は、55歳3人、56歳と58歳が1人ずつです。
「こんな話、したことないよね。でも、おもしろかった」「妻が一段と好きになりました」が、終わってのご感想。夫たちの近況と胸の内を聞いてください。

 

目次

1. 思いやりを口に出す夫婦は、少ないようです。分かっているはずはダメ。口に出さなきゃ伝わりません。

2. 妻は、自分がいれば幸せなはずと思ってきた。仕事も、家族がいたから頑張りました。

3. 経済力は、人生を楽しむ行動力にはね返る。仕事だけで人生をおわらせたくないが、収入の道は確保していたい。

4. いざとなったら、家事やります。仕事を片付けるセンスでやれば、上手いものです。

5. 何をするにも、体が元手。予防第一を心がける年齢になりました。

 

1. 思いやりを口に出す夫婦って、少ないようです。分かっているはずはダメ。口に出さなきゃ伝わりません。

口に出さなきゃ伝わりません

「亭主丈夫で留守がいい」とは、よく言ったもの。けれど、接点や交差点より自分が走るのが精一杯だった時期が長すぎたかも知れない。話さなくても
分かり合えているはずという習慣ができていました。

〇期せずして、絆を確かめる機会に恵まれた夫婦がいる                                                   自分や妻が大病して、介護した体験は、相手に「いざというときの味方」の信頼感を深める結果となりました。

〇仕事に夢中、単身赴任を エンジョイして、三下り半を突きつけられた人もいる。                                              ひとりで楽しい時間を過ごすならご勝手にと言われて、はっと、修復の努力開始。

〇子供のいない夫婦は、話す習慣もしっかりあります。                                                           家に帰ればいつも二人きり。ずっと向き合ってきたから、入院された時は淋しくて、日誌を書いて届けたほど。

 

顔を合わせたら、何か言いましょうね。

結婚当座はともかく、30代40代は、夫も妻も大忙しの時代でした。 妻は子育てで忙しかったし、夫は体力勝負とばかりに仕事から離れようとしなかったと振り返ります。家族みんなが、それぞれに自分の時間と格闘していた時期でした。夫婦は別々の方向を見ていたけれど、家庭も創成期だったので、家庭づくりのために協力している意識もはっきりしていました。そして50代。家庭は子離れが進み、親たちは自分の時間に遠慮なくのめり込めるときを迎えました。
団塊の世代は、そんな時期にバブルの崩壊に出会っています。好景気の中で、このままいけば生活設計は上方修正と見積もっていた人にも自分の人生は自分で作れといわんばかりの見直しが迫られたのでした。
集まってくださった方の中にも、それをきっかけに、企業から独立して仕事をする方法を選んだ方がいます。「人生=仕事=男らしさ」という図式で生きてきた年代の夫たちは、まさに命を懸ける心意気で、仕事にのめりこんだに違いありません。その結果が、突然突きつけられた離婚届。「家に帰ると、安心のあまりぼうっとしていたと思う。話もせずゴロゴロしていました。うちの快適さを口に出していれば、よかったんですね」。口下手というより、怠慢だったと反省しきりです。

夫の方は、心通わせていると信じています。

□ うちは、ご飯の間もずっとしゃべっています。
「中学時代の同級生と結婚、子供はいないし、ずっと話し相手です」とおっしゃるのは、永野忠さん。テレビをみながらでも、ご飯を食べながらでも、共通の友人の近況を肴に笑います。とにかく大好きな妻と一緒の時間がうれしいのだそうです。その妻は、いま入院中。淋しいので、ノートを2冊用意しました。その日思いついたことなどを日誌にして、病院に置いてきます。「交換日記というと負担になるでしょ。一方的に書いているだけ。2冊というのは、その日に置いてくるノートと持ち帰るノートを用意したわけ」。思ったことを口に出さなきゃ伝わらないよと、一同に諭した永野さんです。

□ 「うちは永野さんちの対角線上」という人も。
「結婚したてからずっと共稼ぎ、子供が生まれたときも、妻は仕事と育児に忙しかった。両方共自分の世界を成り立たせるのに精一杯だった。子供から手が離れた頃からは、いよいよ仕事の面白さも佳境に入って、またまたそれぞれ自分の世界。いつのまにか、食べる、着る、洗濯するなど、自分のことは自分でという生活。同居人的だなぁ」。  「永野さんの話は、お互いに交差しようとする努力はしてこなかった自分たち夫婦の姿を目の前に見せてくれた気持ちで聞きました。いままでは、これが自分たちの生き方だと思って来たけれど、これからは、どうなのかなぁ」と、しばし沈黙の人でした。

□ 最近、心入れ替えました。週末は、妻との時間です。
仕事が人生そのものだったと振り返る山口さんは、最近大転換。仕事が閑職に移った。こともあって、週末は家族揃っての食べ歩きです。
ひとりってラクだなぁと、単身赴任の生活をして、たまに家族のもとに帰ると、これまた安心感でゴロゴロさせてもらっていたら、ある日妻からの「三下り半」。安心感も幸せ感も口にしなかったことを悔やみ、反省し、家族との時間づくりに努力中です。「こんな時期、妻の母親の介護が始まり、何かと連絡を取り合う必要からケイタイを持つことになりました。メールのやりとりは、口には出しにくかった思いやりの言葉も文字になり、思わぬ交流が始まりました。不幸中の幸いでした」と、胸の内を語って下さいました。

□ 愛情の確認作業って、大切だね。
長年の夫婦だもの、背中見てりゃ分かるだろうと思うのは間違いとはいうものの、思いやりを口に出さない人は多いのです。けれど、夫婦がお互い味方であることを確認する機会があると、ほっとします。若尾康之さんは、「うちは、僕の2度の大病と、女房の入院で、すっかり突き抜けちゃいました。病院で、女房の車椅子を押しながら、夫婦だなぁってしみじみ感じました。もともと話さない夫婦というわけではないけれど、肝心のことは伝えていなかったんだね」と笑います。
また、高橋さんは、「僕の場合は、年賀状。一年にいっぺん、いつも君には感謝していますと書くの。女房は悪い気はしないと思う。昇進したときは、花束を持って帰った」と、話してくださいました。“年賀状”には、一同から、「そりぁいいや。いただき!」の声。

2.妻は、自分がいれば幸せなはずと思ってきた。仕事も、家族がいたから頑張りました。

家族の存在

〇家族の位置づけ
惚れて一緒になったのだから、一緒に年をとりたい。家庭は、仕事という海から帰る港だから、安らぎが一番。但し、そのことを十分伝えてこなかったと反省しています。

〇仕事の位置づけ
自分の個性や適性を生かせる仕事は、家族を後回しにするほど楽しかった。体も気持ちも、家族と一緒の時間づくりに傾き始めました。

➡家庭や家族の存在は大きかった。重くもあったが、それが仕事の励みにもなった。だから、仕事の成果があると、妻に感謝。いつまでも仕事をしていたいが、今後は妻との生活とのバランスを大切にしたい。

 

まず一緒にいる時間をつくることから。

妻を理解しているかと問われると、戸惑う人もいます。 妻は妻で幸せに過ごしていると思って、それでよしとしてきた夫たちにとっては「理解しているかと言われると、自信がない」のですが、「すっかり理解しようとは思わないんです。二人で生活することに支障はないし」と、断言します。
人間それぞれなのだが、一緒にいる時間を多くすれば、お互いを見直す機会も増えるはずと期待しています。家をすっかり任せ切りできた人は、「家庭の中のことは、女房のテリトリーと思いあえて手も口も出しませんでした」と言います。
「女房は子供の面倒を見る人、育児中も、夜泣きをさせて、亭主の仕事に支障をきたすのはまかりならんという感じできました」と振り返る人もいます。
そして今、子供たちは子離れ済み。夫婦が向かい合うときを迎えました。こうした夫たちは、少しあわてています。けれど、捨てる神あれば、拾う神あり。 自分が妻の味方であることを示す機会が訪れています。親や妻の病気です。 一大事がないとこうはならないというのは、いささか困りますが、夫たちは、それを機に、「味方」であることを示し、名誉を挽回しました。

妻との関係

□ 高校時代の同級生と結婚しました。
「高校時代に”さんづけ”で呼んでいたから、いまでも呼び捨てには出来ない」という人がいます。「うちの嫁さんは、私のことを主人とも呼ばない。なんで私の主人なの?って言われちゃう。前に、お母さんって呼んだときも、あなたのお母さんじゃないって。だから、おーいです」と、呼び方に苦労しているのは、高橋幸男さんです。名前をさんづけで言えばいいのにね。本当に照れ屋さんです。けれど、呼び方はともかく、お互いの尊敬具合はたいしたものです。
「在学中は、向こうは優等生。どっちかというと憧れの人だった。けれど、結婚してみたら日々大発見。こっちがイメージしていたことが崩れて、違う人が見えてきた。でも、それが、ことごとく可愛くて・・・。で、10年位して、こういう人だったのかと理解しました。 家庭管理は完璧、財産管理も完璧。すっかり安心しています。専業主婦として、尊敬しています」とのことでした。

□ 育った環境は正反対。でも、お互いそれが魅力だった。
「うちの両親は、明治生まれなのに、超モダン。伝統的な暮らしは嫌いで、外れたこと大好きだったの。5人の子供もぶっ飛んでる大人になっちゃった。僕その1人なの。結婚する前、ガールフレンドは便所の100Wばかり。明るすぎるくらいの女の子ばかりだったのね。そこに現れたのが、今の女房。これがまた固い家で育ってた。ものすごく暗い女の子だった。これはマズイ! もっと楽しい人生があると、プロポーズしたというわけ。彼女はわが家の両親と兄弟を見てびっくり。惚れ込んじゃったの。以来、うまくいってます」。これ、若尾康之さんです。

□ いまやっと、夫婦になれた気分。
単身赴任の時期を自由満喫して帰ったところ、「三下り半」を突きつけられて以来、反省の日々を送る人は、こう言います。
「自分としては、家庭は安らぎの場で、物を言わなくても自然にいろいろ進んでいくと思っていたのだから、あれにはびっくりしました。考えてみると、女房には耐えるということしかなかったんだね。子育ても終わったし、これからどんな家庭をつくろうかと考えた時自分だけ仕事を楽しんでいる夫の姿に腹が立ったのだと思う。いろいろありましたけどいまやっと、夫婦になれた気がします」。 家裁から呼び出しがあっても、何度「離婚届」の紙を食卓に出されようとも、ガンとして拒んだのは、自分自身が拒否されているのではなくて、自分の考え方や気持ちが伝わっていなかったからという確信があったからだそうです。
最近、週末ごとに夫婦であちこちという生活をしながら、一緒の時間が新しい夫婦関係を育てていると感じているところです。

3.経済力は、人生を楽しむ行動力にはね返る。仕事だけで人生を終らせたくないが、収入の道は確保していたい。

経済力のために

現状認識 ①
いま、55歳。 会社を辞めることになっても、75歳まで働く道を探りたい家族のためにも、自分のためにも、収入は絶ちたくない収入は生活の自由も保障
すると思うから。

現状認識 ②
独立して仕事をする人は、 自分の力を社会が必要とするうちは続けたい。会社には定年がある。早めに独立して、マイペースの仕事体制を作ろうと、
自分の事務所を作りました。

現状認識 ③
生涯現役が望みだが、収入は楽しみを続けられる程度で十分です。人といるのが好きだから、おせっかいしながら仕事にでボランティア風仕事かな。

➡「リタイア」はしない
定年を受け入れて、家でウロウロする自分を想像したくない。経験、能力、個性を生かして、生涯社会と接点を保っていきたい。

 

ずっと人とつながっていたい!

さすがの男性たちも、疲れても仕事という暮らしは、50代からの仕事術とは考えなくなりました。最近、関心が高いのは、「その年齢の人として認められる」ということです。50代は、「個」に戻る時という認識で、自分の仕事の進め方を眺め始めました。「個」に戻るという考え方で行き着くのは、人とのネットワークこそが財産であるということのようです。
仕事の利益になるかどうかよりも、自分の個性、技術、知識などを認めてくれて、一緒に組めば、面白い結果が生めそうだと信じてくれる人をどれだけ持っているかが、将来を決めると感じています。
生活の感動源は人、ということでしょうか。仕事の他、趣味の仲間が集うことにも、人とのつながりを大切にしています。
いつか10人くらいの仲間を募って、コーラスをしたいという人もいます。「歌らしく歌えるようになったら、老人のいる施設に慰問に行くんだ」と、夢は広がっています。

 僕たちの夢。

□ サッカーを楽しみ続ける。
「40代で、サッカークラブをつくりました。高校時代にサッカーをやっていたので、この趣味を媒体にして、仕事から離れた人間関係をつくろうとしたのです。 肩書き、学歴、収入の差なんかというものは、ちょっと横に置いておいて、体を使って楽しむ仲間を広げていました。ですから、マンネリ化すると、壊して、また別にチームをつくるという具合。仕事とも家族とも違う世界の人間関係ですから、捨てがたい魅力があります」とおっしゃるのは、永野忠さんです。いつかコーラスをというのも、永野さん。人と人をつなぎながら、自分の楽しみを創っているという印象です。

□ 自分たちの年代の活動の場をつくりたい。                                                             サラリーマンを辞めて、個人で事務所を始めた人の中には、「若い人中心の仕事になって、僕たちの年代に仕事がまわってこなくなった」と感じている人もいます。50代になって、マイペースでやっていこうという人が増えてくる時代に、これは困った現象です。
「僕らの年代が活躍できる場を作らなくては」という発言がありました。50代以降の個人的な働き方をサポートするシステムとか組織が必要なのです。
50カラット会議でも、「個」の力を社会に役立てるとか貢献に結びつける方法を探っている最中です。
目下検討中なのは、同年代層の生き方や暮し方をよくするための研究や商品開発に力を結集すること。それに、仕事や社会経験の先輩として、子供たちや若い人たちに伝えたりする機会をつくっていくこと。この年代だからこそ出来ることを進めていくシステムと人のネットワークを検討中です。

□ 50代の人間、60代の人間として、その価値を持ち続けたい。
「肩書きや会社の名前がなくても通用する人間でいたい」と言います。 特に「○○社の何某です」と仕事をしてきた人は、会社の名前がないと通じない自分にならないようにと、自戒しています。外見は年より若く、内面は年相応に見られたいというのが希望です。

□ 「生涯現役」は、夢というより厳しい現実。
「ずっと一生懸命働いて、女房にお金を残してあげたい」という発言があって、一同、ざわつきました。 「親からの遺産が入るわけではなし、子供に残すどころか、自分たちが食べるのに働き続けなくちゃ」「残せないよね。残らないだろうね。稼いでないもん」が大勢です。
「うちの奥さんは、シニアライフプランニングセミナーに行って、金銭感覚ゼロって言われたの。かわいいなんて言ってられないよ」と、笑う人もいます。「うちは、しっかり財テクやってた。その点はしっかり安心してます」の声に、一同今度は、「取り換えたいねぇ」と苦笑でした。
生涯現役というのは、厳しい現実のようです。

4. いざとなったら、家事やります。 仕事を片付けるセンスでやれば、上手いものです!

家事やります

〇もともと家事は管轄外。
妻の不在時は、自分の食事つくります。 共働きの夫は、いつのまにか自立しました。身の回りのことは全部自分で済ませています。

〇妻が入院して、食事洗濯掃除の日々。
なぁんだ簡単!が感想。妻より片付けは上手かな。 仕事を片付けるセンスですれば、なんてことない!

〇家事の中では、料理が好きな人は多い。
創意工夫が楽しいから。 気分が乗ると料理する。 趣味のアートをしている気分だから、妻と一緒だとけんかになります

➡男性たちも、生活の自立術として、食べることの基礎知識は身につけた方がいい。 掃除洗濯は機械任せに出来るけれど、好きなものを食べたければ自分でやらなくちゃ!

「ふたりの食卓」のごちそうは、会話。家でも、レストランでも、おしゃべりがあると楽しい。

子離れもして、夫との食事を作ればよくなった妻たちは、張り合いをなくしています。 そもそも、美味しいねとか、これは何?とかの反応が少ないし、テレビをみながら黙って食べている夫婦は数限りなくいます。
レストランでも、折角の料理を前にして寡黙なのは夫婦、おしゃべりに夢中なのは恋人たちと相場が決まっています。 食事づくりも休日はお休みという欲求も、考えてみれば、楽しくないし面倒なだけという日常があるからです。 「ふたりの食卓」を楽しい場にする方法の1つに、男性たちの料理があります。 50カラット会議のメンバーに、週末の夕食は夫が料理するという人がいます。「食事前の1時間を、何が出てくるのか楽しみにしながら、ゆったりバスタイムしている」のだそう。その時間の幸せ、分りますね。 夫の方も、料理の腕をどんどん上げているそうです。

 食べるって、生活の基本。料理は出来た方がいい。

□ 妻の入院で、家事始めました。
「それまでは、やったことなかったです。洗濯もしたことなかった。けれど、食事も妻の入院から45日、いつも家で食べている。自分で作ってます。だんだん上手くなってきますね」とおっしゃるのは、永野さんです。「洗濯は、病院から妻の着替えを持って帰って洗うでしょ。干してたたむのだけれど、たたみながら、妻がいとおしいですよ。今一度恋しちゃっているって感じ。 確かに、家事をして仕事してという生活は、時間に追われているという厳しさがあるけれど、家族の世話というのはうれしいよね。 これまでは、したくなかったわけじゃなく、しなくて済んでいただけ。やらなくちゃというときには、誰でも出来ると思います。簡単だよ」。

□ 僕は料理好きです。丁寧だし手早い。
夕方は早めに帰宅するという若尾さんは、ときどき夕食の支度をします。 「女房が仕事から帰る時間に間に合うように、見計らって作る。帰ってきて、座ると、 さっとご飯というスタンバイなんです。女房は、帰ってきて、家に僕の自転車があるのを確かめると、やったぁ!って思うんだって。帰ればご飯ができてるって。うれしいんだろうね。
褒めるのも上手なんだ。美味しい!なんて。そうすると、またまた力が入るよね。でも、外食もします。だって、女房は、出好きなの。外で、無責任に料理の批評なんかして食べるの、楽しいよね」。 若尾さんは、仕事柄、食材には詳しいので、あちこち見て回っては、美味しく食べる方法を試したりなさるようです。「毎日じゃないから楽しいのかも。時々、冷蔵庫のぞいて、あるもの確かめて、買い物に行って、喜ぶ顔思い浮かべてメニュー考える。遊び心なんだね」と笑います。

□ 台所は女房の城。手が出せない。
高橋さんは、妻の家庭管理の手腕に、一目も二目も置いています。 「手が出せません。メニューは1か月先まで作ってあるし、冷蔵庫の中身は、いま何
が入っているか一覧表になっている。家計簿も結婚以来つけてるし、手出しの隙間ありません。自分の城なのだから、自分の納得するようにやっているわけで、なにもいうことありません」。

□ やれば、女房より上手いかも・・・
20代の息子二人と台所に立つことがあるという山口晶さんは、「男でやると、台所がキレイになりますよ。でも、奥さんはそれが嫌みたい」と苦笑します。  若尾さんも、「そうだよね。毎日やっている人は、時々手を出す人みたいには徹底しないよ。手抜きもしなくちゃ、やってられないからね。うちもそう。女房はスピードが勝負みたいな料理だけれど、僕のは丁寧。片付けも同じです」と、同調しました。でも、時々台所を明け渡して、キレイにしてもらうというのもよさそうです。あなたは、いかがですか?

5. なにをするにも、体が元手。  健康は、予防第一を心がける年齢になりました。

現状と求められるもの

〇45歳までは、仕事で倒れても、本望だった?                                                       忙しさは勲章だった。疲れるほど仕事していないと、男として半端だとも思っていました。

〇健康管理は先延ばしの日々でした。自己管理が必要なことは分かっていても、病院は敬遠。病気を発見されることが予測できる生活だったから。

〇健康管理は妻まかせ。食生活からビタミン剤まで目の前に揃えてほしい目の前に置かれると食べる飲む。甘えていると言われるかな。(言います!)

➡仕事も体も、どうすればこうなると、先が見通せるようになりました。大病したり、三下り半を突きつけられて自分を振り返る機会にも巡り合いました。

 元気でなくちゃ、仕事も出来ないし遊べない。こんなことに気づくのに、50年かかった!

40代には、「そんな働き方していると、体壊すよ」と言われても、「壊さないような働き方じゃ、仕事できない」と言い放っていた人たちです。
胃が痛い、疲れたなんて、男の勲章だとでも言いたげで、妻たちもお手上げだったことでしょう。そして、50代。見事に大病もして、人生に大切なものに気づきました。
そうなると、定期的な健康診断にも行きます。お酒もタバコも止めました。自分が病気にならなくても、妻が倒れ、親が要介護になる等、健康を損なうこと
の波紋の大きさを実感する事態にも遭遇しました。病気になると大変だという実感で、始めたことはいろいろです。
自然に触れる機会を心がける人、体にいいという食品に積極的になる人、人間ドッグでの健診も受けるようにしています。それでも、まだ大過なく過ごしている人は言います。「女房任せできました。病院も薬も強引に用意されれば、従うので・・・」。困りましたね。

健康への努力

□ どっちにしろ、ガタがきています。
サッカーを続けてきた高橋さんは、10年来の脊椎間狭さく症。「腰痛で、歩けなくなるという日があります。でも、38歳のときから続けている定期診断のおかげで、内臓疾患にはかからない。去年、尿酸値が高いのが分かって、家でのビールやめました。そしたら、体重も5キロ減。快調です。でも、年とったんだなぁと実感すること増えました。サッカーも、踵を痛めて少し休んだら、次にボールが飛ばなくなったり、前ほど早く走れなくなったりする。コントロールも悪くなったりね。
私としては、自分の体も管理できない人間はだめと思っているから、意地として、健康管理には気を遣っています」とのこと。どっちにしろ、使い込んだ分、体にはガタがきています。

□ 2度の大病で、すっかりリニューアルしました。
「本当に恥ずかしいけれど、生きるか死ぬかを2度やっちゃった。親戚みんな来ちゃったもん。でも、すっかりリニューアル。あとは自分で生きる努力だね。始めたのは、毎月の血液検査。止めたのは、酒とタバコです。でも、今食べすぎかな。もともと食べるものは拒まないタチでしょ。何でも美味しいの。
女房は、食欲センサーが壊れているのじゃないのって言うけれど、いくらでも食べる。お酒は、全然飲みたいって思わない。決めちゃったからね」。
若尾さんは、すっかり健康になりました。

□ 美味しい水で、気持ちよさ味わっています。
渓流釣りが大好きな佐藤さんは、気持ちいい生活が健康につながると感じています。 「あるとき、渓流の横で滝を見つけたんです。その水を飲んだら、これが美味しくて気持ちいいの。以来、いろいろなフィールドに行く度に、水探しています。体への効き目というより、精神衛生上いい気がしているんです」。  水から始まって、食べると気持ちいいものにも、関心は広まっているそうです。

□ 仕事はそこそこに。
皆さん、仕事を休むなんて罪悪と信じていたけれど、疲れたら休むことにしました。
「休まずに仕事をしている人に、偉いなと感心していた頃は、それがサラリーマンの美学だったのでしょう」 「あまり仕事をしないようにすると決めたんです。薬を飲む生活を止めたかったら、会社を辞めろって、よく言われましたよね。仕事を続けたいわけだから、そこそこの働き方を選びました」「健康でいる努力って、暮し方の整備なんだねそこに気づくのに、やっぱり50年かかるんだよ。しょうがないねぇ」と、振り返ります。
定期健診の日程は、さっさとスケジュールに入れてしまいます。土日は家族と一緒の日とも決めてしまいました。
生涯人と関わって、人に混じっていたい男性たちの健康管理は、何たって仕事の調整が基本のようです。
薬を飲み、ビタミン剤を与えられ、体によいからと勧められれば手を伸ばすこともしています。「予防」の2文字を肝に銘じて、健康な60代を目指します。

 

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